魂の法則 Part7【人間の転生とそれが霊性進化に果たす役割】
霊界との交信
しつこくて申し訳ないですが、魂の進化を成し遂げるには、連続的な転生のシステムがどう機能するのかを、皆が自覚していた方がよくありませんか?
魂の進化は、その魂自身が本当にそれを決断した時にのみ、本物となる。
魂が、成長を指導してくれる高次の霊魂の存在を常に意識してしまえば、指導霊がいるかどうかに左右されて、自由に行動できなくなってしまうだろう。大人に対する恐れや尊敬から、親や先生の前で特定の行動を取ってしまう子どもと同じだ。大人がいなければ、いたずらをしても叱る人がいないので、子どもはもっと自由な気分で、本来の姿に近い全く別の振る舞いを見せる。
後見役の高次の霊魂の存在がより明らかなのは、魂が肉体から解放されて霊界にいる期間だ。
記憶をなくして、監督されている確証もないまま物質界に転生するのは、魂が何の制約も受けずに完全に自由に行動できるためで、自己の経験を通して自分自身でしたいことを決めるためだ。
それでは、肉体に宿っている間は、霊的な真相を自覚できないのですか?
そうとも言えない。もしそうだとしたら、肉体に宿った状態の君と私とが、今そのことで話をしているということもあるまい。
霊的な真相を掘り下げたいと心から願う者は、必要な答えや霊的な援助を得るであろう。君自身の例を見てごらん。君は、本質的な疑問を自問し始め、心から探し求めたので、その答えを受け取りつつある。だが、大抵の人は違う方向を見ていたいのだ。
宇宙が物理的にどう機能しているのかを知りたい、という偉大な好奇心が、君たちを毎回、さらに重要な科学的な発見をするように駆り立てている。霊性においても魂が充足感を得るためには、自己の疑問に答えを見出す必要があり、因果関係を探求することで、表面的には隠れている事実を発見できるのだ。
それにはどうすればいいですか? どのようにして答えを得るのですか?
「魂の法則」は魂に刻まれているので、自分自身を掘り下げようと奮闘すれば、表面的には隠れている霊的な真相がわかるだろう。
魂には、目の前の偽物から本物を見極められる何らかの力がある。それは良心や感情のささやきであり、魂の進化が進むにつれて益々明瞭なものとなる。時々立ち止まってそれらに耳を傾ければ、多くの答えを得られるだろう。
しかし自分の真実でもある霊的な真相を知っていくには、自分で努力してそう決意しなければならない。だから、古いことわざでは「汝自身を知れ、しかるに宇宙を知るであろう」と言うのだ。
でもその方法では、両親に捨てられる小さな子どものように、魂を運命に委ねて見捨ててしまうことになりませんか?
魂は見捨てられてはおらず、ガイド役の霊たちが常に助けてくれている。自分で本当に解決できない問題がある時には、さり気なく答えを示してくれている。
ただ、君たちには多くの怖れやタブーがあり、自分の先入観や思いこみと折り合いがつかない回答を認めようとしないので、霊界にいる同胞は、なかなか支援できずにいるのだ。
それはどういうことなのですか?
例を挙げようか? 死に対する君たちの態度を見てごらん。今日では、死は西洋社会ではタブーであり、魂が肉体を離れる度に、家族や愛する者の間で、真の悲劇が繰り広げられる。どうしてだろうか?
自分のパラダイムを変えなければ説明がつかない、という理由だけで、君たちが死後に魂が存命する証拠を見ようとしないからだ。別の次元に渡った魂が、別れの挨拶をするためや愛する者を安心させるために何らかの形で現れる時、それが君たちの思考回路と相容れるものではないので、単にあり得ないと思いこんで、見たり感じることを信じようとしないのが常だ。そして頭では、ショック状態による幻覚に違いないと思いこむのだ。
他方、宗教の影響もある。宗教は、実際の証拠や証言にはよらず、信じ難い馬鹿げた教義に基づいて、死や死後の説明をしている。しかも、彼らが承認していない霊界とのコンタクトはすべて、単なる想像、あるいは過去の時代のように「悪魔のしわざ」だと断定し、あの世とのいかなる交信も恐れさせるのだ。また、機器で計測できるものしか信じず、この件を真剣に調査することを拒否した物質至上主義の科学の影響もある。物質至上主義の科学は、末期患者や臨死体験をした病人を診て、思い切って死のベールを剥がして真相に近づこうとする、少数だか勇気ある研究者の仕事を、あらん限り邪魔するのだ。
結果として、死の過渡期にいる人やその愛する者たちは、信じるに足る説明も慰めになる希望も見出せずに、心情的に完全に見捨てられてしまう。
では、霊界から助けてもらうにはどうしたらいいのでしょう?
とても簡単なことだ。ただそう頼めばいい。心からの願いをテレパシーで霊界に送って、何が起こるかを待てばいい。ただ単純に、自分の状況や必要なことを話して、助けを請うのだ。
指導霊たちは、これらのメッセージを受け取って対処するためにいる。心から誠実に、霊的進歩を達成したいという思いで頼むのであれば、返答が得られるだろうかと疑う必要はない。
これが本当の祈りなのだ。神やイエスや聖母を崇め祭るお祈りを何回となく繰り返すのが祈りではないし、それは君たちとっても霊界にとっても全く意味をなさない。
ガイド役の魂たちとはどう交信するのですか? 僕は、言葉でもヴィジョンでも他のいかなる方法でも、ただの一度も霊と交信した覚えがないのですが、霊界からの援助とはどういうものでしょうか?
君は、私と交信を始めるまでは、と言いたいのだろう。今では私も肉体を持っていないからね。だがこれは通常の交信方法とは違うので、君の言いたいことは理解できる。
受け取る支援が明確でないとしたら、それは君たちの自由意志に干渉しないように、非常に精妙な方法で与えられるからだ。それに、魂が本当に必要としていて、受け入れ態勢がある時にだけ、手助けされる。
ガイド役の魂は、良心のささやきを介して、頭の中で君たちに話しかける。他の魂たちも頭の中で話しかけ、悩み事の種類に応じて助言する。よって、各人の良心の声の中には、指導霊や霊的な兄弟などの霊界からの声も一部に含まれていることになる。だが、無数の転生で培った叡智を宿した自分自身の魂の声もそこに含まれているのだ。
いずれにせよ、この心の声は、問題解決のための助言や援助となって、人生が辛かろうが幸せであろうがどのようであれ、そこから君たちが霊的進化のための最大の恩恵を引き出し、エゴを取り除くプロセスや無条件の愛についての学習に役立つようにしてくれる。援助を受けるには、それが得られることを確信し、答えを見出す必要のある質問をして、良心のささやきがもたらす返答に耳を貸さなければならない。
これは、瞑想と関係しますか?
瞑想も有効だ。霊的観点から言えば、瞑想は、日常の問題から頭を解放して内面の声が聞けるような冷静な状態に達することだ。それは、自分の欠点を見つめて改善し、気持ちを大切にし始めるのに役に立つ。
瞑想は、自分自身を知るために自己分析をすることでもあり、いつエゴのままに行動し、いつ心に従って行動したかを認識できる。それがわかるのであれば、どんな瞑想法を用いるかは、重要ではない。見栄えが良かろうが悪かろうが構わない。
人は往々にして、本質的なものではなく、表面的なものにこだわるが、何をするかではなく、どういう意図でするのかが問題なのだ。
こんなことを言うのは、呼吸法で頭を空にして、何時間も蓮華坐(結跏趺坐)の姿勢で座ったまま我慢していられる大変器用で柔軟な人たちでも、瞑想状態から離れるやいなや霊的な悪癖に戻ってしまい、特定の技法を真似ているだけで自分をスピリチュアルだと思いこんでいる人が多いからだ。それは瞑想ではなく、そのふりをしているだけなのだ。
でも、どうやって良心の声を聞くのですか? 僕には大変難しいことに思えます。一体どのように、良心の意思と頭の中の他の一般的な思考とを見分けるのですか? 全く簡単には思えませんが。
良心の声を明瞭に聞くには、しばらくの間頭の中のおしゃべりをやめさせ、その間日常的な心配事から頭を解き放とうとしなければならない。一日に独りになれる静かな時間を設け、自分の欠点やその日の行動を内省してみる。そして、心から願えば、必要な答えを見出す助けや、試練にしっかりと立ち向かえる力が与えられる。
良心の声は、我々をおだてるものではなく、ひいきもせず嘘もつかず、我々のエゴを不快にするようなことも言う。
霊的に交信できるチャンネルが開いている人もいるが、それは、この受信方法を信頼して能力を改善しようとしたからだ。そういう人は、自分で熟考して得た答えと指導霊たちから貰った答えとを見分けることができ、彼らと意識的に対話ができる。
これが、霊界側が僕たちを助ける唯一の方法ですか?
いや、君たちは皆、睡眠中にもより直接的な援助を受けている。
身体が眠っている間、魂は物理次元をしばらく離れて霊的次元に行くのだ。そしてそこでガイド役や親しい者たちに出会って、日々の諸問題を解決するために手を貸してもらい、頑張る気力を貰う。つまり、意識はしていないが、皆が夜の間にアストラル体で旅をしているのだ。
大抵の人は、睡眠中の霊界との交流体験をはっきり覚えてはおらず、大まかなイメージや記憶が夢として残るだけだ。夢には、覚醒状態では理解しづらい事柄を明確にしてくれる霊的な援助が、暗号化されて含まれているのだ。
だから、元気でいるには、充分に睡眠を取ることがとても大切だ。良く眠れないと霊界と直接交信できなくなって、物質界の試練と向き合うための助言や活力を受け取れないからだ。
それでは、夢はアストラル・トリップの記憶なのですか?
いつもそうではない。大半が精神的な心配事だ。しかし中には、幽体離脱の多少はっきりとした記憶もあるが、その多くが象徴的なものだ。
それでは、夢には解釈があるのですか?
夢が霊界からの援助であれば、意味がある。すべての夢に共通のシンボルがあり、通常はシンボル自体に解釈の鍵が存在する。
- 雄牛は試練や物質的誘惑を表し、子どもたちは感情を意味する。
- 水は、感受性だ。清らかならば、感受性もそうだということだ。水が濁っていれば、感受性にも何らかの翳りがあるのだ。利己的な意図を表す場合もある。
- 家は、霊的な内面を表す。ドアからではなく窓から家に入るのは、正直ではなく、何かを隠しているか操ろうとしていることだ。
- 徒歩や車で様々な困難がある道を進むことは、霊性の道程を表すことが多く、そこに出現する障害物が、これから遭遇する試練を意味する。
- アイスクリームは自己満足を表している。
- 下に落ちることは感情的な下落、落ちこみを意味する。
などだ。
でも、それぞれのシンボルの意味を知らなければどうしますか?
シンボルの解釈は習うことができる。
通常は夢自体の中に解釈の鍵があって、魂自身が、その夢が重要なのかどうか、自分に関係があるのかないのかを感じ取る。
独りで解き明かせなければ、霊界が、理解できるように必要なヒントをくれるだろう。だが初めに自分を掘り下げたいと思う必要があり、それから睡眠中にそれに役立つものを貰えるのだ。
援助はなぜ直接的ではなく、暗号で与えられるのですか?
魂の自由意志を侵さず、魂自身に自己発展の努力をさせるためだ。
よい数学の教師であれば、生徒の実力をつけるには、答えを直接見せてはならず、行き詰った時に適切で正確な説明をして、生徒自身で問題を解くよう導くべきだと知っているものだ。
進化途上の魂にも同じことが言える。解答を直接あげてしまったら、自力で霊的な試練を解決しようとしないので進歩がない。怠慢になり、指導霊が自分の問題を解決してくれるのを待つようになるだろう。
その人自身が決めなければならないことを教えてあげることも、自由意志に関与することになるので、正当とは言えない。魂は自分で決断しないといけないのだ。だが、自力で乗り越えるために知っておくべきなのに、独りでは気づけない重要な細部もあるため、ヒントは与えられる必要がある。
魂が、自己の問題を完全に自覚しており、独りで解決する能力がある場合には、助けは不要なので与えられない。それは、裕福な人びとの地域に食料を配りに行くようなもので、彼らは配給される食料は独自に入手できるので、全くの無駄となってしまうからだ。
どうして僕たちは、睡眠中に抜け出すことを自覚できないのしょう?
自分の意志で肉体から離れることができて、幽体離脱の間に起こったことを完全に自覚している人たちもいる。
人間は皆、アストラル・トリップができるものなのですか?
無意識だが、睡眠中の特定の段階では皆が旅をする。突発的に離脱に成功して、そのことを自覚する者もいる。だが、意識的にできる人はほんの少数だ。
的確な訓練をして忍耐力を持てば、君たちの多くが、意識的にアストラル体での旅を実現できるだろう。だが、大多数がそれを可能だとは信じておらず、そのための練習もしないので、結局何も起こらないのだ。
進化した世界では、個人的な成長に役立てるために、子どもの時から意識的にアストラル・トリップを教えるので、誰にでもできることだ。
アストラル・トリップがしやすいかどうかの能力は、何によって決まるのですか?
各人の魂の能力や、霊的に進歩したいという意志、霊性に関する自覚、生まれる前に選択したことなどによる。
身体から完全に離れる必要がなく、もっと直接的な方法で霊界と接触できる天性の能力を生まれつき備えている人もいる。そういう人を通常、霊媒と呼ぶ。
それでは、あなたとって霊媒とは何かを、教えていただけますか?
霊媒とはチャンネルを意味する。
霊媒は、他の人と比べて、より直接かつ明瞭に霊界と交信できる人で、一般人が普通の電話回線しか持っていないとするなら、インターネットの高速回線ADSLを持っているようなものだ。
大半の人は、自分の周囲からは、五感が捉えられるものしか感じ取れないので、物質界の向こう側に霊界が存在するということに、全く確信が持てない。
だが霊媒は、あたかも強力なアンテナを持つかのように感度が高く、一般人の普通のアンテナでは捉えられない様々な周波域で送信されてくる放送でさえ、受信できるのだ。
でも、霊媒が皆同じではないし、その霊媒能力も違うと思うのですが。霊媒能力には様々な種類があるのでしょうか?
そうだ。その表現形態や霊界との主なコンタクトの種類で分類することが可能だ。
この分類形式を用いると、霊媒の種類は以下のように様々だ。
- 霊視霊媒は霊体を見ることができる。
- 霊聴霊媒は彼らの話を聴くことができる。
- 自動書記は、筆記によってメッセージを受ける者のことで、自分が書く内容を自覚している場合としていない場合がある。
- 直感霊媒は霊感を与えられて、直接頭の中で霊的メッセージを受け取る者だ。
- 憑霊霊媒は、自分の身体や感覚の全体または一部を、肉体のない霊が物質界で具現するために一時利用できるように貸したり受容する者で、後で自分の身体のコントロールを取り戻す。
- 治療霊媒は、高次の霊から送られるエネルギーを通流させて、肉体を持った魂の生命状態を改善しようとする。
- 過敏霊媒は、五感を使わずに、霊の存在やその状態またはメッセージなどを感知できる。
- 予知霊媒は未来や過去の映像を捉えられる者だ。
それでは霊媒者は、自分のガイド役の霊たちとずっと簡単に交信できるので、他の人よりも優遇されていますね。
生来の霊媒体質というものは、他者を―肉体の有無にかかわらず助けるために使用されるべき道具のようなもので、それを利用してもっと速く進化が遂げられるように、特定の場合に必要とされる魂に与えられる。
だが、一旦生まれ変わると大半の者が、能力のない人びとに理解されずにその力を持たない方が良かったと思ったり、個人的な利益に力を使用しようとしてしまう。
交信できる範囲は、指導霊に限定されずに霊界全般となるが、この世界も君たちの世界のように、皆が善人である訳ではないのだ。様々な進化段階にいる霊がいて、霊媒のチャンネルはすべてに開かれているので、良い影響も悪い影響も受ける。霊媒がチャンネルをどのように使用したいかによって、高次あるいは低次の霊の影響を呼び寄せる。
それなら低級霊も、僕たちに影響できるのですか?
そう、低級霊もだ。肉体を持った者はすべて、霊媒であろうとなかろうと霊からの影響や助言を受けるが、それには低級霊も含まれている。だが高級霊の場合と同様に、彼らを甘んじて受けない限り関与されることはない。
低波長の存在は、自分が波動を下げた時にだけ同調してくる。魂の弱点や欠点のスキをつかれて、つけこまれるのだ。有害な感情や「愛の法則」に反する行為などが、つけこまれるきっかけとなる。
でも低次の霊は、いつも嫌がらせをするために、たとえば霊媒などに近づくのですか?
そうとは限らない。辛い環境から抜け出すための助けを求めて、近づくこともある。彼らは、何かの理由で物質生に強く執着を残してしまった魂で、霊界から直接援助が提供されていることに気づけていない。
苦しむ彼らにとっては、霊媒は霧の中の灯台のようで、霊界の目的地に向かって彼らを前進させるために必要な援助を与える仲介役となる。
霊媒能力はこの世ではあまり評判はよくありません。
そうだね。君たちの進化レベルの世界ではよくあることだ。
どうしてですか?
いろいろな理由がある。
一つには、隠れた私欲を満たすために低級霊を引き付けて霊界との交信を利用しようとした者や、金儲けのためにいかさまをした者などが悪い手本となったからだ。
また、地上の権力者にとっては霊媒能力が発達してしまうと不都合だったので、あらゆる手段で弾圧し、蔑んだのだ。霊界から直接与えられる知識によって人類が覚醒してしまい、霊的な真相や人生の真の目的を自覚して進化を阻む鎖から解放されようとしたら、権力者は、私益のために人類を騙し、操り、搾取し続けてきたすべての影響力を失う羽目になるからだ。
でも、誰もが霊界との独自の繋がりを持っているのだとしたら、他者との媒体となる特別な繋がりを持つ人がいるのはなぜでしょう?
すべての人間の霊界とのチャンネルが開いていたとしたら、他者のための媒体になろうとして、魂が転生する意味もあまりないだろう。
だがこの世の多くの者は、意志力が足りないためか、疑念や怖れのせいか、自分の繋がりを活性させるのが非常に難しく、必要とする援助を受けられないでいるのだ。そこで霊界は、肉体に宿った魂に進化上必要なメッセージを伝えるという明確な使命を担って生まれて来た特定の魂を、代弁者として利用する。
はっきりさせておきたいのは、霊界と人間世界との交信は、常に存在し続けるということだ。どのようにどんな形でそれが行われるのかにはかかわらず、転生した魂は霊的な援助を受けて進歩する必要があるからだ。
でも霊界には、助けてくれようとする善意ある霊魂だけでなく、進歩させまいと画策する低級霊もいて、彼らも僕らと交信できるのですよね。
相手がどちら側の者で、どういう意図があるのかは、どうやって見分けるのですか?
メッセージの質を吟味することが、相手の能力を把握する一番よい方法だ。
心に届いて愛を育むのに役立つ善いメッセージなら、善良な霊からのものに疑いはない。
メッセージによってエゴの感情が引き起こされるのなら、相手がイエスや聖母や聖テレサなど、どんなに偉大な名を語ったとしても、それは善い意図など持たない詐欺師だと考えて間違いない。
イエスが言ったように「実を見て木を知る」のだ。健全な木に腐った実はならないし、腐った木もよい実をならせることはできない。
どの霊と交信するかは何で決まるのですか?
霊との交信は、インターネット上の人と通信することによく似ているが、それはどちらの場合も、話し相手を見ることができないからだ。両方とも遠くの場所の人たちと連絡を取れるが、その知らない人たちの中には、善意の人もいるだろうし、我々を騙そうとする悪意ある人もいるだろう。
我々の興味の対象により、連絡する人のタイプが変わる。特定のテーマに関心があれば、その話題のチャットや掲示板を求めて、同じ趣味の人たちと交信するだろう。
たとえば、他者を支援する非営利団体に加入したいと思っている人は、そのテーマのサイトや掲示板を探すだろう。これは、善意のない者が興味を持つ話題ではないので、このような掲示板で悪意のある者に出くわすことはあまりない。
だが、たやすく金持ちになれると触れこんだり、写真で恋人選びをするようなところであれば、何もよいものは得られないと確信すべきだ。
それと同じように、霊媒であろうとなかろうと、各人の思考や行為の近似性によって、どういうレベルの霊魂の影響を招くのかが決まる。
つまり、賭け事やくじにはまっている人は、死後も依存性が抜けない賭博狂の霊の影響を引き付け、これらの霊が自分たちの期待を満たすために当事者の悪癖を増長することになる。
その反対に他者を助けたいと思う人は、善意ある霊魂の影響を受けて、目的を果たすように支援してもらえるのだ。
したがって、高次で善意ある霊魂と通信するには、自他の魂の改善にその交信を役立てたい、という誠実な思いを持つことが一番確実だ。気高い思いや考えになると、チャネラーとその周りには高い波動が生じるので、善意を持たない低波長の霊は近寄れなくなるためだ。
でも、霊媒であろうとなかろうと、有害な霊の影響を被ってしまって、更生したいと思っても、彼らのせいで正しい方向に戻れなくなることはないでしょうか?
そんなことはない。どの道を選ぶかは自分次第だ。
確かに、いじめる対象を失いたくないがために影響を及ぼし続けようとする、昔の悪い仲間と手を切るのは難しいだろうが、各人の「自由意志の法則」は侵害できないので、彼らは、本人の意志以上の影響を及ぼすことができない。
しかも話した通り、我々には一人ひとりには、魂を指導し守護してくれる、高度に進化した個人的な指導霊がついているのだ。宗教では「守護天使」と呼ばれる者だ。
この存在は、多くの低級霊を束ねたよりも強い力を持ち、正しい道へと我々を導くために、常に我々のそばにいる。その気になれば、絶えず邪魔しようとしている低級霊たちなど、簡単に追い払ってしまえるだろう。
だが多くの場合、人はこの援助を欲しがらず、本人の自由意志が尊重されているので、「守護天使」は自分の生徒がつき合いたい仲間と一緒にいることを容認し、生徒が再び意見を聞きたくなる時まで待機する。
また、それほど高次ではなくとも、手助けしようと見守ってくれる別の存在もいる。彼らは、愛する仲間や亡くなった家族や友人、または見知らぬ人の場合もあるが、必要な者を助けようとする善意の霊たちだ。
しかし、繰り返すが、本人が彼らの声や援助を受け付けないのであれば、時が熟すのを待つしかないのだ。
では、どうしたらこのようなネガティブな霊の影響を振り払えるでしょうか?
君たちの態度でだ。「愛の法則」に従って感じ、考え、行動しながら生きるようになればなるほど、高次の霊の影響を引き付けるようになるので、低級霊は君たちに嫌がらせをする機会を与えられなくなるのだ。
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魂の法則 Part9【転生のプロセス】
魂の法則 Part1【序文】
魂の法則 Part2【最初の出会い】
魂の法則 Part3【神】
魂の法則 Part4【霊的世界】
魂の法則 Part5【進化の構図】
魂の法則 Part6【人間の構成形態】
魂の法則 Part7【人間の転生とそれが霊性進化に果たす役割】
魂の法則 Part8【霊界との交信】
魂の法則 Part9【転生のプロセス】
魂の法則 Part10【他世界での生】
魂の法則 Part11【自由意志の法則】
魂の法則 Part12【霊的裁きの法則】
魂の法則 Part13【愛の法則】
魂の法則 Part14【愛VSエゴ(我欲)】
魂の法則 Part15【虚栄心(見栄)・自尊心(プライド)・自負心(尊大)】
魂の法則 Part16【エゴ的感情】
魂の法則 Part17【人間関係と「愛の法則」】
魂の法則 Part18【「愛の法則」から見た病気】
魂の法則 Part19【イエスの地上での使命】
魂の法則 Part20【別れ】
魂の法則 Part21【あとがき】