第11章 愛を知る老人クラト
キアにおりてまず最初に強く感じたこと、それはその独特のにおい、あのなんとも言えない未知の芳香だった。とてもすがすがしかった。まるで別世界の聖地にでも足を踏み入れたような気がした。
見知らぬ惑星の表面にはじめて自分の足をつけて歩く歓喜を僕はいま、どう表現したらいいんだろう・・・。
僕たちが小屋のほうに向かって歩いていくあいだ、老人はおどろきもせずに僕たちをとても好意的に見つめていた。
“イヌ”(?)は長い首をふりながら、こっちに向かって近づいてきた。とても大きく見えたので、ちょっと驚いた。でもビンカはその異星の動物に近づいて、その長い毛をなではじめた。その動物はまるでネコがよろこんでいるときにするように、頭をビンカの身体にこすりつけた。
その動物に対するビンカの信頼しきった様子にも驚いた。見た目は大きくて怖そうだけど、きっとあまり獰猛な動物じゃないんだろう。
「とんでもない」
とアミが言った。
「なかにはとっても凶暴なのもいる。地球のイヌと同じようにね」
「でも、ビンカ、どうしてこの動物が、危険じゃないってわかったの?」
「ああ、だって首をふってきたでしょう、だから・・・」
地球のイヌがうれしいとしっぽをふるのと同じように、この動物は長い首をふるんだ。
「なんていう名前なの?」
「ブゴっていうの。とってもかわいいでしょう?」
ビンカが言った。
「トゥラスク、トゥラスク!こっちにおいで。お客さんのじゃまをしちゃダメだ」
と今度は老人がその動物に向かって言った。
「ブゴという名前だと言ったのに、彼はトゥラスクって呼んでいる。何だか僕には訳がわからないよ」
ビンカはまるで僕の頭の程度を疑うかのようにして見て言った。
「この動物はブゴっていうの。でもこのブゴにつけた名前がトゥラスクなのよ」
「あ~あ、なんだ。そうだったのか」
と僕は納得して、頭をかきながら言った。
“空飛ぶ両生類”とでも呼べそうな、とても奇妙な動物が少しずつ、姿をあらわしはじめた。なかには僕たちの頭上にまで飛んでくるものもいた。
そのうちの一匹がアミの肩にとまった。ビンカはおどろき、その動物に近づこうとした。すると、それはサッとアミの肩から空高くへと飛び去ってしまった。
「信じられないわ!」
とビンカは言った。
僕にはなんのことを言っているのか、さっぱりわからなかった。
「ガラボロはとても臆病で決して人に近づかないっていうのに、アミのことは全然怖がらないなんて・・・」
彼女がアミから遠のくと、またさっきの動物はその長い足でアミの肩にとまった。
「僕は全ての動物の友だちなんだよ、ビンカ」
と言って、アミは奇妙な言葉でその動物と話しはじめた。
「ハハーッ、わかったよ。だからわしに会いにきたんだ」
と老人が冗談を言ったので、みんなは大笑いをした。
アミが老人に近づいていくと、またガラボロは小屋の上空へと飛び去っていった。ふたりは再会を祝い、お互いに抱き合った。
「きょうこそ準備してあるごちそうを一緒に食べてくれよ。鍋いっぱいにガラボロがある。ひと晩じゅう、辛子ソースにつけてあるんだ。ウーン、すごいごちそうだよ。それに発酵させたうまいジュースもひとビンあるんだよ。ときどき、こうやって楽しむのも悪いことじゃない」
「とんでもない。このネクロファゴ!このかわいそうな動物たちが、決してきみたちに近づかないのは当然だよ。だって彼らは、もし捕まったが最後、きみたちの胃袋の中におさまってしまうってことを、ちゃんと知っているからね」
僕はその時この会話を聞いて、なんだかこの老人に少し反感をおぼえた。いったい、どうしてこんなにかわいい罪のない動物を平気で殺して食べることができるんだろう?
「でも、とても美味しいのよ、アミ」
と言ったのは老人ではなく、なんとビンカだった・・・!
彼女もそれを食べるとは!そしてそれだけではまだ不足とばかりに付け加えて、こう言った。
「ももを焼いたのが、一番美味しいの。つばさのスープも大好き・・・」
これを聞いてビンカに対するイメージが急激にガラガラと崩れ落ちた。彼女のことを、まるでジャングルに住みヒトを食らう野蛮人のように感じた。
どうして今まで、こんな彼女にちょっとでも惹かれたりなんかしたんだろう。
アミはそのとき、老人の耳に翻訳器をつけているところだったが、僕の考えていたことをキャッチしてビンカに言った。
「この愛らしい動物をつかまえて殺して食べるなんて、とても悪いことだよ、ビンカ。我々の地球の友だちは、そのことにとてもショックを受けているんだよ、今」
彼女は驚いたように僕を見た。そして、なんとか自分の正当性を理解してもらおうと説得をこころみた。
「ここでは、みんなガラボロの肉を食べるのよ。子供のころからの習慣なの。とっても美味しいから・・・ちょっと食べてみたら・・・」
「イヤだ。僕は絶対に食べない!」
僕は腕組みをしてプイッとそっぽを向いて言った。
「ブラボー!そうこなくっちゃペドゥリート」
アミはよろこんで言った。
「ペドゥリートはガラボロの肉なんか絶対に食べない。彼にとってそれはとても心の痛む、よくないことなんだ。だからビンカ、彼は今、かなりきみに失望しているんだ。彼はガラボロは食べない。もっと別なものを食べるんだよ。覚えているかい?あの地球の、とってもかわいくって、きみが一匹ペットとしてつれて帰りたがっていた動物を・・・.」
彼女は目を輝かせた。
「ああ・・・とてもかわいかった、えーと、なんていう名前だったかしら?」
「子羊だよ。でもそう、じつはそれはペドゥリートの大好物のひとつなんだよ・・・」
今度はビンカが、僕のことをまるで罪人か頭のおかしい者であるかのように見た。
僕はなんとか弁解しようとした。
「で、でも、子羊の焼いたの、とても・・・」
ビンカは目から涙を流していた。
「あのかわいい子羊を殺して焼いて食べる!なんてひどいこと!なんていう幻滅!ペドゥリート、本当にはき気がするわ!」
アミは笑いをこらえながら、彼女をなだめはじめた。
「これは、他人の間違いをはたから見たときに起こることなんだよ。自分のじゃなくてね。きみたち三人はみな、同じことをしている。子羊やガラボロを食べるのに、どちらがよくてどちらが悪いということはない。
みな同じことだ。だけど僕はきみたちを非難したりはしない。きみたちの気持ちはよく理解できるよ。でもきみたちときたら、同じ間違いを犯しておきながら、お互いに激しく非難し合っている。
全く、この未開人たちときたら・・・だからもうこのあたりで仲直りして握手したら?よい友だちとして・・・ん?」
僕たちは、気はずかしい気持ちのまま、おずおずとお互いの顔を見合わせた。
このアミのレッスンは、ビンカにも僕にもとてもよく理解できた。お互いに手をさし出して握手した。
「うん、そうだ、そうするんだよ」
老人もよろこんで言った。
「じゃ、アミ、このあたりでみんなの仲直りを祝っていっぱいやろうや。さあ」
と老人が言うと、アミは冗談で答えて、
「この山男は全く礼儀作法を知らないんだから。礼儀正しい人はまず最初に紹介し合うもんだよ。彼はペドゥリート。別の世界に住んでいるんだ」
「ホッホッホッー。どうりで、もしわしがそんな名前だったら、どこか別の世界へ行って隠れて暮らすよ。ホッホッホッーー」
彼の冗談に僕はムッとした。
「この子はビンカだ」
アミが彼女を紹介すると、老人は彼女ににっこりほほえみながら言った。
「たぶん、この子も別の世界からきたんだろう。キアには、こんなにかわいい女の子はいないからね」
これは、もっと気に入らなかった。彼女は老人のお世辞に笑顔で応えていた。
「この人はクラト。キアのお百姓さんだ」
「ハッハッハッー!」
僕は仕返しをするために笑ってやった。彼の名前をひやかしたつもりだったが、僕の笑いはかなり不自然だった。
「どうしたんだい?いったいこの子は。アミ?」
「きみの名前だよ。きみが彼の名前を笑ったからその仕返しに笑ったんだよ」
「こりゃ、なんて感じやすい子なんだろう!怒らないで、”ベドゥリート”。たんなる冗談なんだから。でも”ベドゥリート”ってなかなかいい名前だよ・・・」
クラト老人が僕の名前をきちんと発音しなかったことに抗議しようと思ったら、その前にアミが話しはじめた。
「彼にはきみの名前の音がよく発音できないんだよ、ペドゥリート。きみも完璧には彼の言葉を発音できない。名前や発音でけんかするなんてつまらないことだよ。そのうえ、クラトは”石”という意味だからね」
「石だって?ハッハッハッー。でもどうして石なんていう名前なんだろう・・・」
僕は今度は本当におかしくて笑った。
「きみたちは同名異人なんだよ・・・」
「エッ!それどういうこと?」
と僕はおどろいて聞いた。
「だってペドロ(ペテロ)は石を意味しているだろう?きみだって”石”っていう名前だよ」
みんないっせいに笑った、ただ僕ひとりを除いて・・・。
みんなはおしゃべりをはじめた。僕はすみのほうへ行って自問した。どうして僕はいつもこううまくいかないんだろう・・・?いつもこうだ・・・。
アミは僕に近づいてきて言った。
「ペドゥリート、いいかい。きみは、本来のきみの水準以下で行動しているんだよ」
僕はもっとわかりやすく説明してくれたらいいのに、といった目つきで彼を見た。
「小さな子供が食事のときに服を汚しても、誰もそれを本気になってしかったりしないだろう。それはその子供の水準による行動だからね。
でも、もし大人が同じことをしたら、きっと周囲の人からとがめられるだろう。
だってそれは彼の水準に見合った行動じゃないからね」
「それと僕とどういう関係があるっていうの?アミ」
「本当の自分に見合った行動をしていないんだ。自分のあるべき水準で行動していないんだよ。だから、なにかをしたり考えたりするたびに、こらしめを受けて苦しむことになるんだよ。反対にきみがあるがままの自分自身のよい部分にしたがって行動すれば、きみの人生はいつも天国そのものになるよ」
しばらくのあいだ、アミの言葉を繰り返し考えてみた。そして、そのとおりだと思った。僕は今の自分とは別の人になる努力をしようと決心した。
「いや、本当の自分自身になることで、十分なんだよ。手に入れなくっちゃならないのはそれなんだよ・・・。じゃ、僕の友だちと話をしよう」
とアミは言った。
クラトとビンカは小屋の向こう側にある畑にいた。老人は彼女に自分の小さな畑の野菜や果物の木々や、その他、そこここにあるいろんなものを見せていた。
ビンカがクラトとふたりでいるところを見たら、不快な気分が少しだけど僕の中に生まれかけた。でも、直ぐさまその感情を打ち消すようにした。行動も思考もより良くすべきだと思ったからだ。
「ブラボー!そう思えるようになったら、それはもうひとつの進歩だよ、ペドゥリート」
とアミがよろこんで言った。
「エッ!それどういうこと?」
「きみは進歩しているんだよ。自分の思考を観察しはじめたんだからね。もう、それほど眠っている状態じゃない。普通、人は決して自分の思考に注意を向けてみるということをしない。
悪い考えが頭の中をよぎったとしても、全くそれに気がつかないでいるから、当然自分は素晴らしい考えをいだいていると思っている。これじゃ少しも進歩はない。
ペドゥリート、きみは今、自分の心を監視しはじめたんだよ。自分自身をより深く理解しはじめたんだ。そのうえ、自分の意識の中のふさわしくないものを、取りのぞく力も獲得しつつある」
「ちょっときみたち、こっちにきて、このムフロスを見てごらん、大きいだろう・・・」
老人がプラスチックのようなものでできた、赤く光ったビンをいくつか両手にとって、僕たちに見せながら言った。
ビンカはそのひとつを手にとり、ビンの首のところを口に近づけたかと思うと・・・突然ガブリとそれにかじりついた!そして、なんと、それをとてもおいしそうに食べはじめた・・・。
僕はびっくりした。アミは僕が当惑している様子を見て、笑って言った。
「プラスチックじゃないよ。ちょうど地球のビンのようなかたちをした果物なんだよ」
「ペドゥリートも食べたら?」
ビンカがひとつ手にとって僕のほうにさし出した。僕はアミのほうを見て食べられるのかどうか聞いた。
「ひとかじりだけしてごらん」
とアミが言った。
それをかじってみた。リンゴのような舌ざわりだった。その味は他に例えようがなかったけれど、その甘さはとても気に入った。
「どうしてこんなに大きなムフロスができるの?」
ビンカがクラト老人に聞いた。
「なあに、とても簡単なことだよ。毎晩、木に歌を歌ってやるんだよ。それが好きでね。そうするととてもよろこぶんだよ。よろこべば、人も動物も植物も全てが愛を持って成長するからね」
「愛を持ってすることはみな、よい結果を生み出す。だから美味しい大きな実がなるんだよ」
とアミが言った。
この木はきっと耳や口を持っていてクラトと話すことができるんだと思って、僕は興味深くその木を見つめた。でも、その葉も枝も幹も、全く普通の木と変わりなかった。
ビンカは笑って言った。
「本当に?木に歌を歌ってやるなんて・・・」
アミはクラトのしていることは正しいと言った。
「木や植物はちゃんと意識を持っているんだよ。とても小さな意識ではあるけれど、自分にそそがれる愛情に対してナイーブな感受性を持っているんだ。悲しがったり、よろこんだり、恐怖をいだいたり、信頼したりね」
クラトはビンカに言った。
「もっとお食べよ。ムフロスは力が出るよ。わしのようにね」
そう言うと老人は、握りこぶしをつくって、それを腰にあて、ほおをふくらませるポーズをした。
これを見たビンカはとてもおもしろがって言った。
「でも、それは都会の女の子が望んでいることとはちょっと違うわ!」
アミはクラトの冗談を笑って、
「この老人の言うことをまに受けちゃダメだよ。流行については全くわかっていないからね」
クラトは冗談をとばし続けていたが、アミは急に真面目な顔つきになって、一点に意識を集中しはじめた。そして言った。
「テリが近づいているようだ・・・」
「じゃ、きみの見えない乗りものにはやく隠れなきゃ」
とクラト老人は言った。
アミはさらに意識を集中し続けていたが、こうつけ加えた。
「もうその時間はない。直ぐそこまできている。小屋の中へ隠れよう。はやく!」
そう言って僕たちを追い立てた。
僕はなんのことかさっぱりわからずちょっと驚いたが、ビンカはとても動揺していて、僕に強い力でしがみついてきた。
遠くで聞こえていたエンジンの音が、だんだん近づいてきた。クラトはゆりイスに座って平静をよそおった。アミは小屋の中の壁のすき間を見つけ、そこから外の様子をうかがった。そして口に人さし指をあてて、静かにしているよう合図すると、僕たちにも外の様子を見るように言った。
こちらに近づいてくる車が見えた。鉄格子に囲まれた黒光りする金属製の箱のようなものに車輪がついている。鉄格子の中にはやはり黒いガラスがあって、中の様子は全く見えなかった。
そのとても陰気そうな感じの車は、ひどい騒音とモウモウとした排気ガスをまきちらしていて、さっきまでいた動物たちは、いつの間にかどこかへ姿を消してしまっていた。きっと、まだ消音器が発明されていないのだろう。
アミが小声で僕にささやいた。
「消音器はあるけれど、彼らは人を威嚇するのが好きなんだ」
黒い箱型の車が小屋の近くにとまり、中から4人がおりてきた。その姿を見ただけで恐ろしくなった。彼らは肥満した毛むくじゃらな巨体で、ゴリラのように見えた。
ヘルメットにも肩当てにも靴にも、首輪にもすね当てにも、全てのものに、角のような沢山の突起が出ていた。服のかわりに金属の鎧をつけ、4人とも手には棍棒を持っていた。顔はサルというより人間に似ていた。ピンク色をした顔以外、見えるところは全て緑色の体毛でおおわれていた。
「やい、おいぼれ!身分証明書を出せ!」
クラト老人は彼らに目もくれず、灰色のマントのひだのあいだから機械的に証明書を取り出し、さし出した。
テリのひとりがそれを乱暴にひったくり目を通した。
「このあたりでワコを見かけなかったか?」
「テリは見たけど、テリ・ワコもテリ・スンボも区別がつかない。わしにはみな全てテリだ」
老人はあたりの景色を見ながら、少しも取り乱さずに答えた。
「生意気な!人間とけだものの区別がつかないって言うのか?」
「ああ、それならつくよ。人間はお互いに愛し合い、建設し合うけれど、けだものは憎み合い破壊し合うんだ」
老人の答えに、武装した毛むくじゃらは気分を害した。
「頭、どうしましょうか。この老いぼれ、ちょっと棍棒で痛めつけてやりましょうか?」
「ほっとけ、ほっとけ、どこにでもいるすきっぱらを抱えた夢想家のスワマのことだ。ほっとけ。ハッハッハッハッ・・・」
ここまでは全てなんとか順調だった。問題はそのあとだった。
「おい、掘っ立て小屋の中をちょっと見てこい!」
僕は腹に、発パンチをくらったようなひどいショックを受けた。ビンカは僕の腕を前よりもさらに強くつかんだ。
アミは両手を大きく広げて僕たちふたりを包み込み、ほほえみながら、怖がらないようにとささやいた。クラトは少しでも彼らの気をそらそうとして言った。
「小屋を見たって、さがしているものはなにも見つからないよ。武器もスンボも・・・あ、失礼、スンボはあなたがただったね。いつも混同してね。つまり武器もワコも・・・」
「うるさい、老いぼれ。いいかげんにだまらないと肉体労働にかり立てるぞ!武器工場にはワコもスワマももっと必要だからな」
テリはとうとう小屋の中に入ってきた。そして、すみずみまで調べた・・・。ただ僕たちのいるところだけを除いて。見つかってもいいはずなのに、不思議に見つからなかった。
「頭、誰もいませんぜ」
「そうか、じゃ、ひきあげよう。やい、老いぼれ、もしこのあたりでワコを見たら、直ぐに知らせるんだぞ。たっぷりほうびをやるからな」
そう言うと、4人は車にもどり、キーンというするどい、不快な音をたてながら遠くのほうへと消えていった。