第4章 宇宙のおばあちゃん
おばあちゃんは、部屋でヨガをしながら僕を待っていた。
「ペドゥリート、お帰り。今日は悲しそうな顔してないね!朝、家を飛び出した時と同じ、生き生きした顔をしているよ。アミとビンカに会えたのかい?」
僕は気絶しそうにおどろいて、ただ目玉焼きのように大きく目を見開いたまま、しばらくなにも言うことができなかった・・・。
おばあちゃんは、まるで「学校はどうだった?」って聞いてるみたいな、ごくあたり前の調子で、僕にそう言ったんだ・・・。
「あの本に書かれているのは、たぶんみんな本当のことなんだって、あたしは信じるよ。けさ中庭で洗濯物を干していたら、まるい銀色をしたものが、空を飛んでったんだよ。
どんどん高くなっていって、直ぐ見えなくなったけど、お腹に翼のはえたハートのマークがあった・・・あれを見てちょっと思うところがあってさ、だから、あの本を読み返してみたんだよ。お前のことを考えながらね・・・そしたら、いつかお前がもってきたって言ってた、あのクルミのことも思いだせてね。
まあ、それは、ここのところ身体に気をつけて、ビタミン剤を飲んだり、ヨガをやったりしてたのがよかったのかもしれないけど。それにつけてもペドゥリート、今日のお前はなんてうれしそうなんだい。
お前のそんな顔は、ひさしぶりだよ。きっと今までずっと、アミに会えなかったんだろう?でも今日は、アミとビンカと一緒にいたんだね」
それを聞いて、僕はただぼうぜんとしてしまった。とてつもなくびっくりしたからだ。それから、ついに僕の秘密を誰かと分け合えそうだという期待で胸が一杯になった。しかもそれが、この地球で僕が誰よりも好きな、僕のおばあちゃんなんだから、うれしいに決まってる!
「本当にそう思う?おばあちゃん」
「本当だとも」
おばあちゃんは、誠意にあふれた目で、じっと僕を見つめた。「このこと、誰にも言わない?」
「そんなこと、するもんかね・・・人はそんな美しい現実なんか信じはしないよ。それにこんなこと話したら、気がおかしくなったって思われるだけだよ・・・」
「僕がもし、おばあちゃんが見たっていう、その円盤に乗っていたって言っても信じる?」
「信じるよ、ペドゥリート。円盤を見たとき、そうじゃないかと思ったくらいだから。だって、あんなによろこんで出かけていったんだからね・・・」
「宇宙人、こわくない?おばあちゃん」
と僕はワクワクをおさえきれずに訪ねた。
「怖くないよ。だって、宇宙でいちばん大事な力が愛なんだからね。だから、今朝見たような円盤に乗っている人なら、あたしたちよりもずっと進化していて、ずっと愛情深くて、親切で、平和で、善良であるはずだよ。愛がなくちゃ進化はできない。進化してなきゃ、あんなものはつくれっこないさ」
僕はおばあちゃんに抱きついて、その肩にポロポロと涙を落とした。未来にまたひとつ、幸せのあかりが灯ったような気がした。
「ひとつお願いがあるんだよ、ペドゥリート。大きなお願いがね」
おばあちゃんが、そっと僕の身体を離して、僕の目をのぞきこんできた。
「なんでも言って、おばあちゃん。僕に出来ることなら・・・」
「今度アミが戻ってきたら、ぜひ会わせてほしいんだけど・・・」
それを聞いた僕は、あまりに幸せすぎて、思わずまた、おばあちゃんに抱きついた。
「明日、会えるよ!」
「明日?あと一年、待たなくてもいいのかい?アミが戻ってくるまで」
と、今度はおばあちゃんが驚いた様子で、僕にたずねてきた。
これからは、僕の秘密について、包み隠さずおばあちゃんと話し合えるんだ。なんて素晴らしいんだろう。おばあちゃんはみんな知りたがった。僕が今日起きたばかりの出来事を話すと、とてもよろこんでくれた。
ゴロがビンカに許可を出すかどうかという点については、やっぱり不安が残る。でもおばあちゃんは、かたく信じていれば、どんな問題だって解決すると言った。
あんなに幸せな気持ちでベッドに入ったのは、生まれてはじめてだった。おばあちゃんが新しく生まれかわったことが、とってもうれしかったんだ。それに、ビンカと一緒に暮らすという僕のいちばん大きな夢が、かなうかもしれないからだった。
翌朝のおばあちゃんは、相変わらずうれしそうで(それは僕も同じ)、アミに会いに松林まで一緒に行きたがった。でも、僕はおばあちゃんに、それが可能かどうかまずアミに聞いてからにすると言った。おばあちゃんは承知してくれて家に残った。
松林に着くと、今度はほとんど待たされることなく、頭上に黄色い光が見えた。僕の身体はその光の中を上昇して、円盤の中に入った。そこには笑顔のアミとクラトがいた。
「ビンカは?」
と僕は訪ねた。
「彼女の住んでいる大陸は、クラトのところより夜明けが遅いから、まずクラトを迎えにいったんだよ。でも、もう起きているころだよ。これからキアへ戻ろう。なにか新しいニュースがあるかもしれないから」
「数百万キロの距離も、まるで直ぐそこの通りの角まで行って戻ってくるくらいにしか感じられないね」
「数百兆キロだよ、ペドゥリート。でも、あのコロンブスだって今の世界を見たら、きっと同じようにおどろくよ。彼の航海は、長くて、きびしくて、なにより勇気が必要だった。
でも今じゃ、コロンブスが発見した新大陸(アメリカ大陸)まで、数時間(もかかるんだけど)、誰にだって行ける。使い捨ての燃料で、やかましい音をたてながら飛んでいく、飛行機っていういただけない乗りもののおかげでね・・・じゃ、出発しようか、みんな」
「ああ、ちょっと待って、アミ。その前に聞きたいことがあるんだけど」
「うん、わかってる、ペドゥリート。君の思ってること、キャッチしたから。君のおばあちゃんはもうなにもかも知っていて、僕に直接会いたがっている。とてもいい知らせだね。話がずっと簡単になったよ。勿論、僕だってぜひ君のおばあちゃんに会ってみたいよ」
あのとき、僕はとびあがるほどうれしかった。
「じゃ、ペドゥリート、これからおばあちゃんに会いに、君の家まで歩いていこう」
「うん、行こう」
とクラトがすっかりその気になって言うと、
「とんでもない、クラトはダメだよ。昨日ペドゥリートも言ってたけど、君の姿はどう見たって地球人じゃないんだから。もしも誰かに見られたら、直ぐに捕まって、その白髪まじりのピンク色の髪の、根っこの根っこまで調べられることになるよ」
とアミが警告した。
「ウム、わしの美しさを大いに称賛して楽しむことだろうよ。ホッホッホッ!」
「それだけじゃない、メスで身体を切りきざまれて、いろいろ検査されるよ・・・」
「・・・そういえばさっきから、ちょっとばかり脚が痛かったんだ。わしはここで二人の帰りを待つことにするよ。ホッホッホッ!”ベドゥリート”、おばあちゃんによろしく言っておくれよ」
「じゃ、僕達は行くけれど、念のため、コントロールは全部とめておくよ。好奇心一杯の老人にうっかりおかしなところをいじられて、アンドロメダのほうにでも行かれちゃうと困るからね」
と小さな宇宙人は笑って言った。
「テレビをつけて置いてくれないかね?この惑星のスポーツを見てみたいんでね」
「どんなスポーツが好きなの、クラト?」
「ロコ・トコのようなものが・・・」
「ロコ・トコって?….」
「ロコっていうのは、地球のアルマジロに似たキアの動物のことで、でも、動きがずっとすばやいんだ。トコっていうのは網のことだよ、ペドゥリート」
とアミが説明してくれた。
「で、クラト、それ、どういうスポーツなの?」
と僕はクラトに訪ねた。
「選手全員が網のついた棒を手にもって、グラウンドに放したロコを追いかけるのさ。で、網でそいつを捕まえる。ロコを捕まえたら、三歩以上歩いちゃいけない。
だから、捕まえたロコを、仲間にパスする。ポーンと宙に投げるわけだから、そのときは相手にとってはチャンスだ。くれぐれもとられないように注意しないといけない。ゴールまでたどりついたら、そこに投げこむんだ。ゴール! どう、素晴らしいだろう!」
「もし、仲間がロコをうまく受けとめられずに、地面に落としたときはどうなるの?」
「そしたら、ロコはすごいスピードでにげていくよ。そして敵の得点になるんだ。捕まえるのはなかなか難しいんだよ」
「でも、かわいそうに、地面に落ちたら、ケガしちゃうよ・・・」
「しないさ。だって、ロコは身をまるめると、硬いボールになってしまうんだよ。宙を飛んでいるときとか、地面に落ちるときにはまるまっておるのに、そのあとはあっというまに元に戻る。
そうして、”捕まえられるもんなら、捕まえてみろ”って顔して、ものすごいはやさで逃げていくんだよ。ホッホッホッ!わしは”ウトナの猛獣”のヒーローだった。みんなわしのことを”赤いロコ”って呼んでいたよ」
「どうして?」
「うん、ロコを投げるところをまちがえて、しょっちゅう足のはえたぶあつい鎧を相手チームにほうり投げたからな。それがまた、なぜか向こうのいちばん強いヤツの頭に当たるんだよ。勿論、そいつらは試合を放棄するしかなかったよ、ホッホッホッ!」
「そんなやり方、きたないよ!」
「わしのせいじゃないよ。わしの硬いロコを投げたところへ、やわらかい頭を出したのが悪いんだ。ホッホッホッ!」
「言ったろう、このスワマはいちばん精神的じゃないって」
と言いながら、アミはモニターをつけた。
「ペドゥリート、クラトの言ってることは話半分に聞いておくようにね・・・ああ、やってる、やってる。今映っているのは、サッカーといって、この惑星の最もポピュラーなスポーツだよ。足と頭だけを使ってやるんだ」
「おお・・・、あんなに蹴とばして、こっちのロコのほうがかわいそうだよ・・・」
「あれはロコよりもずっとやわらかいボールだよ。手でもつのはルール違反だ。青のチームはこっちのゴールにボールを入れなくっちゃならない。白は反対側の・・・」
クラトには多くの説明はいらなかった。ちょっと見ただけでどういうものか理解したらしい。それにもう、自分の応援するチームも決めていた。
「がんばれ白!わしらのロコ・トコのユニフォームと同じ色だ。やつらを地図の上から消してしまえ!・・・白いほうはどこのチームなんだね?アミ」
「ルーマニアのブカレストの”ラピス”だ。相手チームは・・・」
「よし、ゴールのまん前だ・・・つよくけっとばせ!今だ!そうだ!・・・ああ!なんてことするんだ!ボールがゴールに入りそうになったのに、あの青くないやつが、手を使ってボールを押さえた・・・」
「クラト、あれはね、青のチームのゴールキーパーだよ。ゴールキーパーだけはボールを手でもってもいいんだ。少しずつわかってくるよ。このボタンを押していけば、ほかのチャンネルも見ることが出来るからね。じゃね」
「じゃ・・・おおっ!なんていい試合だ。青はよく走る!ホッホッホッ!・・・ん?どうした?誰だ?赤い紙をもって、白チームのひとりにいばりちらしているあの黒いヤツは・・・」
「ああ、彼は主審だよ。まあ、ゲームの中での警官みたいなもんだね。あの赤い札は、試合から退場せよという意味があるんだ。人を蹴るのは反則だからね」
「だってさわってもいないぞ・・・さてはあの青、芝居しとるな!? あんなふうにわざとらしく痛がって、主審の同情をひこうとするなんて、卑怯じゃないか!主審も主審だ、いったいなにを見ている!? アミ、ヤツは素人なのかい?それとも・・・買収でもされているんじゃないのか?」
「クラトははやくも、地球の習慣のいくつかには、とてもうまくなじんだみたいだね」
僕とアミが、今度は円盤から松林に向かって、光の中を下降しているときだった。僕が苦笑すると、アミはため息まじりに言った。
「過去がテリだけにね、必ずしもよいとはいえない習慣に・・・」
二年前、人々はアミのことを、とても親しみをもって見た。かわいい男の子が、まるでどこかの仮装パーティーにでかけるところみたいに・・・。中には、彼に近づいて、頭をなでようとするひともいた。彼は僕と同じように、そうしたことにとても満足しているようだった。
それにくわえて今度はもう、アミの能力について前よりずっとよく知っていたので、以前のような不安はなかった。
家の中に入ると、おばあちゃんが笑顔で僕達をむかえた。おばあちゃんはアミを見ると、とても感動して、彼に抱擁の挨拶をした。
「なんと善良なまなざしだこと!・・・たしかにこの子は地球の子とは違うわ・・・神の祝福がありますように!そして、どうぞこのよい子を守ってくれますように!」
アミは笑いだした。
「いつも守ってくれているよ、おばあさん。でも、僕はそんなに若くもなければ、そんなに善良でもないよ。ハッハッハッ」
「でも、こんなに進化した、別世界の人を抱擁出来るなんて、ああ・・・ありがとう神さま、こんな素晴らしい機会をあたえてくれて。ありがとう、アミ。あたしの孫の師でいてくれて」
おばあちゃんたら、アミのことを、僕の”師”と思っていたんだ・・・。思わず僕が笑ってしまったら、おばあちゃんはきょとんとした。
「アミは僕の師じゃなくて、友達なんだよ」
アミがおばあちゃんをちらっと見た。おばあちゃんはなにかを理解したらしく、
「ああ、そのとおりだね。じゃ、あたしの孫のそんなにもよい”友達”でいてくれて、ありがとう」
「ペドゥリートの”友達”になったことは、僕にとって大きな喜びです。僕は愛を込めてこの仕事をやっています・・・。
ペドゥリート、それじゃ行こうか。おばあさん、一緒に招待したいところだけど、できなくてごめんね」
「とんでもない、もし招待されたとしても、あたしゃ行かないよ、アミ」
「どうして?怖いの?」
「そうじゃなくて、あたしゃ、そんなに素晴らしいことを沢山は知りたくないんだよ、アミ。だってそのあとで、このあたしたちの住んでいる世界があまりにも悲しく見えるからね。
ペドゥリートを見ているとわかるんだよ。この子はときどき全ての人にはらを立てていて、ここの世界の人達はみんな、多かれ少なかれ”ぺてん師”だって言うんだよ」
僕はイヤな気分になった。
「おばあちゃん、それはプライベートなことだよ・・・それにしかたないよ。ここの人とオフィルの人とを比べてしまうのは」
僕は自分を正当化して言った。
「じゃ、ペドゥリート。自分自身とオフィルの人達とをくらべることはしないの?」
「エッ!・・・ウーン・・・」
アミの言葉に、僕は何も言えなくなってしまった・・・。
「だから、あたしゃ行かないんだよ。沢山のよいことも、悪いことも知らないでいたいんでね・・・」
「そのとおりです、おばあさん。この宇宙の旅は、ある種の心理的な危険をともなっています。すばらしく進んだ世界を見たあとで、愛が尊重されてない世界に戻って生きていかなければならないのは、決してやさしいことじゃない・・・。
僕達が、そうしょっちゅうコンタクトをしないのは、それがひとつの理由でもあるんです」
アミが少しあらたまった調子で言うのに、おばあちゃんはうなずいて、
「あなたたちのためにつくったケーキがあるから、ぜひ持っていって。ビンカとセニョール・クラトにも少しずつ分けてあげて・・・」
「”セニョール・クラト”だって?ハッハッハッ。おばあちゃん、なに言うの?ただの年寄りの山男だよ」
「セニョール・クラトだよ、ペドゥリート。本当に彼があの羊皮紙を書いたのだとしたら、それはもう大きな尊敬と称賛にあたいする人ですよ」
「えっ?でもそんなこと本人に言わないほうがいいよ。もし、誰かがそんなこと言ったなんて知ったら、エゴが風船みたいにふくれてしまって・・・。でも、とても面白い、いい人だよ。うん、それはたしかだよ。じゃ、またね、おばあちゃん」
「ペドゥリート、なにかおばあちゃんに言い忘れていることない?」
「ううん、ないと思うけど・・・なんのことかな?」
「クラトのことだよ」
「いや、別に・・・ただかなりみにくい老人だってこと以外はね、ハッハッハッ。じゃ、おばあちゃん、またね」
「ペドゥリート、彼が君のおばあちゃんによろしくって言っていたこと、言い忘れているよ」
「ああ・・・そうだった。よろしく言ってたよ。じゃあね」
「本当かい?あんなに心の美しい、遠い世界の人が・・・。ああ、なんてうれしいんだこと。感謝せずにはいられないよ。あたしのほうからもよろしくと伝えておくれ・・・それから・・・もしこられるなら、ぜひお茶を飲みにいらしてくださいって、彼の惑星や地球のことを話しましょうってね」
僕のおばあちゃんはこんなつまらないことに、ひどく心を動かされていた。
「お茶?もし、彼がいつかここに来たとしても、お茶は飲まないよ」
「じゃ、なにを飲むんだい、セニョール・クラトは?」
「たぶん、ワインかな?よくわからないよ。でも、お茶でないことだけはたしかだよ」
と僕が言うと、
「ああ、それじゃ、さっそくワインを買いにいってこないと。いつきてもらってもこまらないようにね・・・じゃ、気をつけてね、アミ。注意して運転するんですよ、交通ルールをよく守って、信号とかいろいろ気をつけて・・・」
「心配は無用だよ」
アミは笑って答えた。
「ビンカさんをつれてもどれるように祈ってるよ!」
遠くから、おばあちゃんは僕達に言った。
円盤に戻るとサッカーの試合は終わっていて、クラトは別の番組を見ていた。僕達に気づくと、ひどく興奮した様子でこちらに近づいてきた。
「勝ったよ。ホッホッホッ!白いほうが・・・」
そう言ってクラトは、試合の経過をじつにこまかく報告した。
僕はあんまりびっくりして、ぽかんと口をあけたまま、クラトの話を聞いていた。クラトってなんてすごいんだ。サッカーのルールがもうみんなわかっている!僕がやっと理解できた”オフサイドの位置”のような複雑なルールまで、彼はたったのひと試合見ただけで理解してしまった・・・。
「本当に好きなものに対しては、脳はとってもよく働く。だって全ての注意をそこに集中させられるからね。注意力というのはとても大きな力なんだよ、ペドゥリート。それに、この老人は決してバカじゃないからね・・・彼の注意力を、他のもっと重要なことに使わないのが残念でならないよ・・・」
「サッカーは素晴らしいスポーツだ、アミ!キアにも似たようなものはあるが、これとはくらべものにならん」
「僕も好きだよ。でも汚いプレーがあると、途端に見る気がうせちゃうんだ。乱暴なことは好きになれない」
と僕が言うと、クラトが、
「サッカーは男らしくて、力強くて、しかもちっとも乱暴じゃないよ、ベドゥリート。さっき見たあのスポーツに比べたらな。
ほら、あれだよ。赤い布を持った男が、それをヒラヒラさせて巨大な動物を怒らせるやつがあるだろう。大きな角を突き立ててやろうと、ものすごい勢いで走ってくる動物を、すんでのところでかわさなきゃならん。
ホッホッホッ!たしかに、度胸自慢でないとつとまらないけどな・・・でも、あれは動物がかわいそうだ。さんざんいたぶられたあげく、最後には平然と殺される・・・残酷すぎやしないかね」
「そのとおりだよ、クラト。あの動物は背中にバンデリーリャ(訳注:かざりのついたもり)を打ちこまれて、少しずつ弱っていく。そして動きまわっているうちに傷口はどんどん大きくなり、その痛みでますます狂暴になる。
想像してごらん。長いナイフが何本も君の背中につきささって、君が走ってもがけばもがくほど、ナイフも動いて、傷が大きく深くなっていくとしたら・・・」
アミの言葉に、最初に闘牛が残酷だと言いだしたクラトまで、ひどいショックを受けていた。
「考えただけでわしはもうたまらんよ、アミ。ああ、まだ他にも野蛮なスポーツがあった・・・」
「どんなの?」
「男が二人で、床に倒れて半分死んだようになるまで、なぐり合いを続けるやつだよ・・・」
「ああ・・・ボクシングのことだ。本当に死んでしまった人や頭にひどいケガをしてしまったひとも少なくないんだ・・・」
ちょっとだけいたたまれないような気がして、僕は小さな声で言った。
「こういうのはよくないスポーツの例なんだ」
とアミが話しはじめた。
「こういったスポーツを見ているうちに心の中に生まれた興奮とか、闘争心とかは、それじたいとっても乱暴なものなんだ。これが低い振動に変わって、ほかの人達にも伝わってしまう。
伝わるだけじゃない。振動は”磁気”を帯びているから、この振動が届いた人達の心の中にも、同じような乱暴な感情をひき起こしてしまったりもするんだ。
世界が悪くなるきっかけは、こんなところにもあるんだよ。はじまりはやっぱり、一人ひとりの心の中なんだってこと、わかるよね?」
クラトが口をはさんだ。
「だから、わしはサッカーが好きなんだ。これこそスポーツだ!」
僕はさっき、白チームの選手が、相手チームのひとりをけとばしたのを思いだして言った。
「でも、ときどきかなりきたないことをするよ・・・」
「きたないのは青のほうだ!」クラトは自分のひいきじゃないほうのチームのせいにした。
「もうちょっと意味のあることを考えられないものかなあ・・・」
アミはうんざりしたように言った。
「ところで、ベドゥリート、、今もってきたその包みはなんなのかね?」
「ああ、ケーキだよ」
「ちょっと食べてみよう。どれどれ、ウム・・・ムシャムシャ・・・ウッ!これは甘いぞ。君たちの食べるものはみな甘くなくっちゃいけないのかい?」
ちょっとだけクラトをこまらせてやりたくなって、僕は言った。
「みんなじゃないよ。おいしいものだけね・・・」
「このケーキはペドゥリートのおばあちゃんが、僕達のためにつくってくれたんだよ、クラト」
「・・・ああ、そうか・・・それじゃおいしいよ、なんておいしいんだ、ムシャムシャ・・・そういえば、ベドゥリート、わしからの挨拶、ちゃんと伝えてくれたかね?」
「エッ!ああ、うん」
「それで、なんて言っていた?」
「エ・・・と、ありがとうって・・・そうそう、アミ、ゴロおじさんのこと、なんとかなるかなあ、心配だよね」
「ペドゥリート、君はもうひとつ正直じゃないね。真実を隠すのは嘘をつくのと同じことなんだよ」
「違うよ。僕はただ、ゴロおじさんの頭が、もう少しやわらかくなってくれればと思っているんだ・・・」
「君は話題を変えるのがうまいね、誰かさんと同じように・・・」
「わかった、わかったよ。僕のおばあちゃんが、ありがとうって言ってたよ、クラト」
「それはもうさっき聞いたよ、”ベドゥリート”。他にはなにか言ってたかい?」
「ああ・・・それから、クラトにもよろしくって・・・あ、ビンカにとても会ってみたいって・・・」
「それだけかね? “ベドゥリート”」
「それだけだよ・・・ここ、ちょっとあついね・・・」
「ペドゥリーーート」
アミの声音は、少しだけ僕を責めていた。
「ああ、それからアミに信号をちゃんと守れって・・・アミ、それだけだよ、おばあちゃんが言ってたのは。だからもう、ビンカの話をしてもいいよね?」
アミは笑いだした。
「この未開人ときたら・・・全て正直に、本当のことを言うのが、どうしてこうも難しいんだ・・・」
「もう言ったよ。アミ、僕はもうちゃんと言ったってば」
僕はだんだんいらいらしてきた。
「だいたいはね。でもまだなにか言い足りないことがあるんじゃないかい?ペドゥリート」
「おばあちゃんの言ったことは、もうみんな言ったよ。お願いだからいいかげんにして、アミ」
「羊皮紙の作者に対して大きな尊敬と称賛をささげていたことを言い忘れているよ。それから、クラトがよろしくって言ってたって伝えたら、おばあちゃんがとっても感動してたってことも、隠してる。
それに、おばあちゃんがクラトを招待したことも、クラトがきたときのために、クラトが好きそうな飲みものを用意しておくつもりだってことも、君は言ってない」
「そんなに?・・・なんと素晴らしいばあさんなんだ・・・どうして隠したりしたんだね、”ベドゥリート”?」
「なにも隠してなんかいない。僕の頭はコンピューターじゃないんだ。細かいところまでいちいち覚えてなんかいられない。これ以上僕を問いつめるのは、ほんとにもういいかげんにしてよ」
クラトはこまったふうに言った。
「この子はいったいどうしたっていうんだ?アミ」
「嫉妬だよ、クラト。この子はセンチメンタルな面では少し独占欲が強くて、利己主義なんだよ・・・」
「あーあ・・・なるほど・・・」
「エッ?・・・嫉妬?僕が?・・・おばあちゃんのことで?ハッハッハッハッ、僕の頭の中はビンカのことで一杯だっていうのに・・・」
「うん、でもね、ペドゥリート、君は気づかないうちに、おばあちゃんのことでもやいているんだよ。ビンカは恋人として、おばあちゃんはおばあちゃんとして、それぞれのことでやきもちをやいているんだ」
とアミが言った。
「・・・そう、そのとおりかもしれない。だとしたって、それのどこがそんなに悪いっていうの?」
「君ひとりだけのおばあちゃんにしたがってるところがだよ、ペドゥリート。そうして、あの素晴らしいおばあちゃんを、ほかの誰とも共有しようとしない。それは、おばあちゃん自身の可能性を封じ込めていることにもなるんだよ。つまり、おばあちゃん自身の幸せなんか、どうでもいいんだ。自分の幸せしか考えてないってことじゃないかい?」
僕はまた、自分でも気づかなかった欠点をアミに指摘されてしまった。この前の旅のときもそうだった。ただ、あのときは、ひたすらショックで、思わずガックリと座りこんでしまったほどだったけど、今度は違っていた。今度ははっきりと、アミの言ったことが正しいとわかった。
アミは、僕を傷つけたくてこんなことを言っているわけじゃない。僕のことを僕以上に知っている、本当の友達だからこそ、僕の欠点を教えてくれているんだ・・・。
僕は目を閉じた。恥ずかしさでほおがあつくなっているのがわかった。立ち直るまでしばらくのあいだ、黙っていようと決めた。
「おお!もうキアに着いたよ、アミ」
「うん、でもなにか変だよ、クラト」
「どうかしたのかい?」
「ビンカが中庭にいない・・・なんだかおかしいよ、これは」
「家の中を見てみよう! アミ」
僕はびっくりして叫んだ!
「家の中にも誰もいない!」
「どうしよう?アミ、どこをさがしたらいいの?」
僕はひどく胸さわぎがしていた。
「大丈夫。今、彼女のコードをコンピューターに入れてみるから・・・ほら、いたよ」
ビンカの姿が現れた。ストレッチャーの上に、目を閉じてよこたわっていた。白衣を着たテリが彼女のそばに座って、なにか話しかけていた。
「君の書いたものは、全て空想にすぎない」
“私の書いたものは、全て空想にすぎない”
まるで彼女はロボットのように、言われたことをくりかえしていた。
「催眠術をかけているんだ!・・・ビンカに催眠術をかけている!」
アミもすっかり取り乱している。
「まずいぞ、PP(政治警察)のところへつれていかれたんだ!」
クラトの言葉に、僕は天地がひっくりかえったような気がした。
「いや、PPじゃない。あれは精神科の医者だ。催眠術をかけて、ビンカに全てを忘れさせようとしているんだ!」
「はやくビンカを連れ出さなきゃ!」
僕はほとんど絶望しそうになりながら叫んだ。
「アミ、あのテリに殺人光線を発射したらいい」
クラトの声も、いつになく厳しい。
「みんな、落ちつこう。僕の頭を彼女の頭と接続してみる。今までより高いレベルでだ」
「アミ、おねがい、はやくはやく!」
僕はもう、不安でパンクしそうだった・・・ビンカが!ビンカが!アミは立ちあがって、円盤のうしろのほうの部屋に向かって歩いていった。
「僕はこれから、瞑想するための部屋に入るよ。操縦室は、君たちだけになってしまうけど、ほんの数分だけだから、落ちついてたのむよ。あとで僕に報告出来るように、モニターから目をはなさないようにね」
「あの中になにか電子装置でもあるのかい?」
クラトが僕に訪ねた。
「ううん、そうじゃなくて、意識を集中してなにかをするんだよ。あっ!なにか言っているよ」
「君の書いたものは、全て空想にすぎない」
“私の書いたものは、全て空想にすぎない”
「ペドロって誰だい?ビンカ」
“ペドロは私の双子の魂です・・・”
「いいぞビンカ!そうだ!」
僕はちっちゃく叫んだ。
「そうじゃない。彼は実在していないんだ。ペドロは主人公ロナの双子の魂だ。でも君はビンカであってロナじゃない」
“私はビンカで、ロナではない・・・”
「そうだよ。じゃペドロって誰?」
“彼はロナの双子の魂です”
「そう、そうだ。もうわかったろうけど、アミは架空の人物なんだよ」
「なに言いやがる、そういうお前こそ消えちまえ!」
とクラトはもうカンカンだ。
“アミは架空の人物だということがわかりました”
「そう、よくできた。アミは誰ですか?」
“アミは架空の人物です”
「そう、そう、だから全て君の書いたことは空想だっていうこと、わかったね」
“はい、私の書いたことは、全て空想だということがわかりました”
「じゃ、キアの外の世界へ行ったというのは全て空想したことだから、これから全て忘れる。わかったね」
“はい、わかりました”
「クラト、僕のこと全て忘れるって!彼女の記憶から僕がいなくなる!・・・」
あまりのことに、僕はがくぜんとした。
「大丈夫。忘れたりなんかしないよ、ペドゥリート」
接続はうまくいったらしい。アミが操縦室に戻ってきた。
「ビンカの頭脳と、うまくコミュニケーションが取れたよ。これでもうビンカには、精神科医の暗示はきかない。これから彼女は催眠術にかかっているふりを続けるけど、実際にはちゃんとした意識をもっているから、なにひとつ忘れたりなんかしないよ」
「本当にうまくいくの?」
「安心して。たった今、ビンカがテレパシーで言ってきたけど、これはゴロが彼女を我々からひきはなす目的でたくらんだことだそうだよ。
あの医者とは家族ぐるみでつきあっているから、当然ビンカの本のことも知っている。そこでゴロが、ビンカは今、精神的に混乱状態にあって、自分の書いたことを実際に体験したことだと思いこんでいるから、目をさまして、現実に戻してほしい、と頼んだんだよ。
そうとわかれば・・・よし、これから医者をちょっとおどろかせてやろう」
そう言うと、アミは計器盤のキーを操作した。
「いいぞ。許可が下りた。医者に円盤を見せてやろう」
僕達の円盤は、直ぐさま自動的に移動して、十階の窓の外に停止した。窓ガラスの向こうには、医者とビンカの姿が見える。
「空とぶ円盤は実在しない」
テリの医者が言うと、
“空とぶ円盤は実在しない”
ビンカが同じ言葉をくりかえしていた。
アミは円盤を視覚可能な状態に変えて、窓の向こうに強烈な光を当てた。驚いた医者がこちらをふりかえった瞬間、僕達三人は、アミの指示どおりそろってニッコリと笑い、数メートルの至近距離から医者に挨拶した・・・。
「円盤なんか存在しな・・・い、いや、存在する・・・存在する・・・存在する」
精神科医は、うわごとのようになにやらブツブツ言いながら、僕達をじーっと見ていた。彼が見たものは空とぶ円盤、その中から笑いかけてくる、陽気なスワマがひとり、宇宙人(!)が2人。
窓の下には通行人が集まりはじめ、口々になにごとかわめきながら、しきりと上空を指さしている。
アミは、いったん人々の目から円盤を隠し、直ぐにまた見せ、そして次には視覚不可能な状態に戻した。テリの医者は、慌てて催眠をといて(ほんとはかかっていないんだけど)、かみつきそうないきおいでビンカに訪ねた。
「アミって、いったいなにものだ?」
小さな宇宙人はマイクを取って、かすかな声で彼女の耳もとにささやいた。
“ビンカ、アミは、あなたが今、窓の外に見たあの白い子供だって言いなさい”
「アミは、あなたが今、窓の外に見たあの白い子供です」
「それじゃ、つまり、全て本当のことだったのか!」
「そうです、先生。真実の前では、催眠術は全く用をなさないんです」
アミはふたたびマイクを取り、ビンカに全てを正直に話すように言った。
ビンカは順を追って医者に全てを話した。
話が進むうちに、医者の表情はみるみる興味深げになり、全部を聞き終えたときには、
彼はひとつの結論に達していた。
「ということは、つまりゴロは私に嘘をついていたということだ・・・。わかった。
君に協力してあげるよ、ビンカ。あの円盤の中に君の希望と愛情があるんだからね。それが我々の健康な生活にとっても必要だということは、科学でも証明されているから」
「愛よ」
とはっきりビンカは言った。
「だって、愛が神なんだから」
「ウム・・・愛とか・・・神とかいうことはだね・・・」
医者は口にするのもけがらわしいといったふうだ。
「愛と神は同意語よ。だって愛と神は同じものなんだから。私達にいちばん必要なものが愛なの、つまり神なのよ」
「科学の世界ではそういう言葉は使わないんだよ、ビンカ。我々科学者の耳には、決してよくはひびかない。うかつに口走ろうものなら、医者としての信用を失うことになるからね。愛情っていうほうがそういう・・・ウム・・・そう、女々しいセンチメンタルな表現にはいいんだよ」
「愛が女々しいセンチメンタルな言葉?神のことよ!・・・」
「やれやれ!じゃビンカ、ひとつ質問するけどね、人間は神かね?」
「勿論違うわ。どうしてそんなわかりきったことを聞くの?」
「空腹や愛というのは、たんに生命を維持していくうえで必要なものなんだよ。我々が空腹を感じるのは餓死しないためだし、愛を感じるのは親がわが子を守るためだし、種の保存のためだ。ただそれだけのことなんだよ。
空腹や愛だけじゃない。我々の中にそなわった憎しみの感情とか攻撃性だって、我々が生物として生きぬいていくための、大切な道具なんだ。
ビンカ、愛が神だという、バカげた君の言葉にしたがえば、空腹だって、憎しみだって、攻撃性だって神ってことになってしまうよ。わかるかい?はっきりと確認出来るだけの根拠のないものを、認めるわけにはいかない」
アミは少し悲しそうに見えた。
「これまでずっと、愛を知らずにきた人には、愛っていうのはふわふわとした、とらえどころのないものでしかない。そうでなければ、執着のような、ごく普通の本能的な感情と大差がない。だからこそ、この医者にとっては空腹も憎悪も愛もみな同じなんだ」
ビンカは、目の前のテリが、自分とは全くあいいれない考えのもち主だって、気づいたようだ。でも、ひるまずこう問いかけた。
「じゃ、あなたがたは、神についてどういう表現をするのですか?」
「我々はそういうことは話さないんだよ、ビンカ。全く科学的な厳密さに欠けるからね。そういうことは、迷信深い人とか、無知な人達の話すことだと私は考えている・・・」
ビンカも僕も、その言葉にびっくりしてしまった。
「じゃ、科学者にとって、神について話すのは恥ずかしいことなの?」
「当然だよ。きちっと実証されていることじゃないからね」
「私にとっては、神の存在は完璧に実証されていることよ」
とビンカが言うと、ドクターはゆかいそうに笑って、
「そうかね。じゃ、その君にとっての証拠とやらを教えてもらおうじゃないか、ビンカ?」
「私よ」
ビンカは、医者の目をじっと見つめて、カ強く答えた。
「エッ!なにが言いたいんだね?」
「神はちゃんといるわ。だって、私がその証拠よ・・・」
ビンカがあまりに堂々としているので、医者はあきらかに混乱している様子だ。
「先生、そこにかかっている絵、見えるでしょう?」
とビンカは壁にかかっている果物の静物画を指さした。
「ああ、見えるよ。で、それがどうした?」
「この絵があるっていうことは、この絵を描いた画家がいるってことの証拠じゃなくて?」
「そうかもしれない・・・それで?」
「この手も、この爪も、この声も、私自身がつくったものじゃない。つまり、私をつくった直ぐれた知性が存在するということよ。
これだけじゃまだ、科学者たちにとっては十分な証拠にはならないの?星や銀河系や海の色や花の香りだけじゃ、十分じゃないの?その存在について研究出来るだけの能力をあたえてもらっておきながら、科学者たちはどうして直ぐれた知性の存在を疑うことが出来るの?」
ビンカがこの医者に向かって話をしている様子は、まるで教師が生徒に授業をしているみたいだった。
僕はビンカのことをとてもほこりに感じた。でも・・・テリには、ビンカの言葉が全く心にひびかないみたいだ。顔をゆがめてあざけるような笑いを浮かべていた。
アミがこう言った。
「彼女が類推推理で話しているのに対して、テリはただ自分の頭の中にある論理だけでしゃべっているんだ」
「なに?その類推・・・」
「今は説明している時間がないよ」
モニターの中のビンカは、なおもテリに語りかけていた。
「科学者にとって、愛は神のいることの証拠とはならないの?」
テリの顔には、あいかわらずいやみな笑いが浮かんだままだ。
それから、まるでバカな子供の話はもう沢山といったように、
「そうだね、よくわかったよ、ビンカ。たしかに世界をよくする、なんて大きな理想をかかげるのはうるわしいことだ。思わず熱も入るものさ・・・ビンカ、君は全く”詩人”なんだね!ヘッヘッ・・・。
こう見えても、私も暇なときには詩を書くんだよ、ヘッヘッ・・・。さて、君のおじさんたちもそろそろ待ちくたびれているだろう。君の友達とやらも待っているんだろう?しかたあるまい、君に協力することにするよ。きわめて異常なことで、私はまだ、受け入れたくはないが・・・」
と言って、また、あのいやみな笑いを浮かべた。それでも僕達は、医者の”協力”というひと言に、希望をふくらませずにはいられなかった。
「じゃ、ゴロおじさんを説得して、私が地球に行けるようにしてくれるの?」
「そうは言ってないよ、ビンカ。君に協力するとは言ったけど、私は医者だ。医者の仕事は患者の命を守ることだ。そのうえ、私は法を守る善良な市民だ。
まず第一に、地球に行くことが本当に君のためになるかどうかを確かめる必要がある。それには、初等教育の専門家に意見を聞き、国家初等委員会に報告書を書いて提出し、管轄の裁判所に許可を申請しなければならない」
彼の話を聞いているうちに、僕達の希望はあえなくしぼんでいった。
「それから、地球の社会的、生物学的環境が君のために望ましいかどうかを判断する。そのためには専門家が地球の環境状態を調査出来るように、各国政府が正式な取り決めを結ぶことになる。
そしてなにより肝心なのは、絶対に、地球文明がキアの脅威とならないようにすることだ。君の友達とやらが、こうした惑星どうしの歩み寄りに協力してくれるかどうかも、じつのところ全くわからないんだからね・・・。
いいかい、ビンカ。これは決して簡単なことじゃない。VEP(惑星外生命)の問題っていうのは、特別にやっかいなんだよ。なぜならこの問題については、全てが政府の監視下にあって、PPの委員会が情報の管理・収集をおこなっている。この国で集められた情報は、この惑星でもっとも強大な国の秘密情報部まで、報告する義務があるんだ
。みんなもよく知っているように、PPの警官っていうのは、まるで友好的とは言いがたい。おまけにVEPの問題に関しては”特別な”命令のもと、PPが、政府にとって不都合な情報を握りつぶす役目を負っているんだ・・・。
たぶん、それなりの正当な理由があるからだろうが・・・。くりかえすけれど、これは決して簡単なことじゃない。障害だらけといってもいいくらいだ。でも、しかたあるまい。他に法にかなったやり方がないんだから」
僕達の美しき未来像は、今や、ガラガラと音をたてて崩れるところだった。
「この医者は頭がおかしいぞ、アミ。こりゃ全くのお役人だ。なんでもかんでも複雑にしなけりゃ気がすまない」
クラトの心配には、アミも同感だった。
「全くだ。もしキアの政府にでも連絡されたら・・・かわいそうなビンカ・・・」
「かわいそうなペドゥリート」
あまりの心細さに、僕は自分自身につぶやいた。
モニターの中のビンカは、とてもくるしげだ。
「いったい先生は私を助けたいと思っているの。それとも、私の人生をメチャメチャにしたいと思っているの?」
「勿論助けたいよ。私は医者だからね」
「だったら、ゴロおじさんと話をすれば済むことよ。どうしてものごとをそんなに複雑にしようとするの?」
「ビンカ、私は、私に嘘をついたゴロとはもう話はしない。私にとっては、つねに”正しさ”がいちばん大切だ。自分の主義に反することはできない。ゴロは事実だと知っていながら、私に全てはビンカの空想だと言ったんだからね。
だからもうこれ以上ゴロとは友達でいることはできない。それにこの件を当局に通報することは、法を守る市民としての、そして祖国や民族やその文明を愛する市民としての、努めでもあるんだ」
「この男は、ゴロよりもはるかに頭が固い!」
アミはさも不快そうに叫んだ。
「直ぐ目の前に直ぐれた現実があるっていうのに、全く気づかないなんて!そして、謙虚になってなにかを学ぼうとするかわりに、自分の水準までものごとをひき下げ、自分たちの規則を押しつけようとする。まさに典型的なテリじゃないか!
もしも空から天使が舞い降りてきたとしても、この医者はきっとこう言うんだよ。『ビザもパスポートももってないぞ、刑務所に入れろ!』って。手厚く保護しようなんて考えは、頭をかすめもしないんだ。頭の中はエゴだらけ。なんだってエゴで支配出来ると思ってる!感受性のかけらもありはしない」
「これじゃ、スワマになるまでには、ものすごい時間がかかるな」
クラトがつぶやくと、
「おそらくそのとおりだろうね。見てごらん、どこかに電話をかけようとしているよ・・・」
アミがモニターを指さした。
「PPへ?」
モニターの中では、ビンカがあわてた様子で電話機に手をかけて、医者の通話を邪魔したところだった。
テリはさもはら立たしげにふりかえって、ビンカをにらんだ。
「なにをするんだ!? この生意気なスワマの小娘め!礼儀を知らんのか!」
「あなたこそ、いったい、なにをするつもり!? 私を密告してPPにひきわたすつもりなの?」
「当然だ。それが法を守り、祖国と民族とその文明を愛する市民のつとめなんだ」
「さっきから同じようなことを・・・針のとんだレコードじゃあるまいし!」
クラトがはき捨てる。
「それが先生のやり方なの?それで本当に私のためだって言えるの?」
ビンカの悲痛な叫びに、医者は平然と答えた。
「そのとおり、政府の専門家はなにが君にとって一番よいかちゃんと知っているだろう。だから私がPPに電話するのを、邪魔しないでくれ。わかったな、小娘」
アミは少しうろたえていた。
「科学者としてはどんなに優秀か知らないけど、これじゃ今だにけものと変わらない・・・」
「助けて、アミ!助けて、ゴロおじさん!」
ビンカは叫んでいた。
「アミ、なんとかしなくっちゃ!」
クラトと僕は同時に叫んだ。
その声を聞いたゴロが、診察室へ入ろうとした。でも内側からさし錠がおりていて中に入れなかったので、怒って激しくドアを叩いた。
ビンカの最大の危機を前にして、僕は何も出来ないでいた。あれは僕の人生でも最悪のときだった。クラトは、今にもモニターの中の医者につかみかかりそうな勢いだった。
あれがもし、目の前で起きた出来事だったら、クラトはなにをしていたかわからない。モニターのこちら側にいる僕達に向かってビンカが叫んだことを、ここで今再現することは、とてもとてもできない。
「落ちついて、落ちついて」
アミはそう言うと、計器盤のボタンやキーを、すばやく操作しはじめた。彼の手は信じられないようなはやさで動いていた。まるで映画を早送りしているみたいで、あまりのはやさに、ブンブンといううなり声さえ聞こえてきた。
しかも、なんと!彼の手からはうっすらと煙まででていた!そのときはただもう、ビンカが心配で心配で気にもとめなかったけれど、今、改めて思いだしてみると、アミの手の動きは、本当にすごかった・・・!
精神科医は再び受話器を手に取った。ビンカはすかさずその手を取って、かっぷくのよいテリの医者があまりの痛さで悲鳴をあげるほど強く、彼の指を噛んだ。激怒したテリが、彼女をドアのほうへ投げ飛ばすと、その衝撃でビンカは意識を失った。
ドアの向こう側でその音を聞いたビンカのおじさんとおばさんは、もはや死にもの狂いになってドアをぶち壊そうとしていた。
「大丈夫、心配するほどのことじゃないよ」
アミの言葉にちょっぴり安心できたのもつかのま、テリがマストドン(訳注:化石獣。現在のゾウに似ているが、ゾウよりもはるかに大型。上あご・下あごの両方に牙がある)のようにドスドスと、ぐったりとしたままのビンカに歩みよった。
大きな歯をむきだして、ゲンコツをつくり、身体中の筋肉をこわばらせているさまは、まさしく怒り狂ったゴリラそのものだ。
「テリというのは、感情が自分の内深く眠ったまま麻痺してしまっているんだよ。だから自分の動物的衝動に対して、ほとんどコントロールができないんだ。直ぐ止めさせないと、あのテリはビンカを殺してしまうよ」
アミが急いで計器盤を操作すると、そこで信じられないことが起こった。テリの動きが、凍りついたかのように、ピタッと止まったのだ。
「うわー!すごい、アミ。ほんとにどうなるかと思ったよ。よかった・・・でも、どうやったの?遠隔催眠をかけたの?」
「緊急時には、遠隔催眠をおこなうための精神集中ができないからね。だから光線を発射して、身体を麻痺させる方法をとったんだ」
「おお、さすがだな、アミ。効果はどのくらい続くのかね?」
「僕が光線を切るまでは、ずっと効果が続くよ。さ、いそがなきゃ。沢山の人達が、この円盤を目撃したんだ。直ぐにでもPPがかぎつけてくるよ。
こういうことがあると決まってそうなんだ。ああ、もう階段を昇ってきている。ゴロが診察室のドアを壊そうとしたから、よけいに騒ぎになったんだ。もう時間がない。なんとかビンカだけ救出してこよう」
アミは立ちあがって、円盤の入口のほうへ歩いていった。入口はゆっくりと開いていくところで、そこから緑色の光のトンネルが伸びて、分厚い建物を突き抜け、まっ直ぐに診察室の中まで続いていった。
その光のトンネルの中を、アミはまるでなにか硬いものの上を歩いているように、進んでいった。今まさにビンカを殺さんとばかり、凶悪な表情で、ただし指一本動かせないでいる医者のいるところまで・・・。
PPはすでに診療所のある階までたどりつき、扉をこじ開けようとしていた。アミとテリには大きな身長差があったけれど、アミはそのままスーッと浮かびあがって、ちょうど男の顔の高さで止まった。
「おおっ!”ベドロ”、あの子は飛ぶことも出来るのかね!?・・・」
「そうだよ、クラト。ほかにももっといろいろ出来るんだ。すごいんだよ」
アミはじっとテリを見つめながら、小さな器具をえり首のところにつけ、耳元でなにかをつぶやいた。僕は直ぐに、最初にアミと出会ったとき、アミが二人の警官に催眠術をかけたのを思いだした。
そして、たぶんあのときと同じように、このテリの記憶を消しているんだなと思った。だけど、あのときとはちがって、今度は器具を使っていたから、本当には何をしているのかわからなかった。
扉はかろうじてまだ破られないでいたけれど、それももうほとんど時間の問題だった。
アミはゆっくりと着地すると、彼よりはるかに身長のあるビンカを、両手で軽々と抱き上げた。(これもまた、改めて思いだしてみれば驚きだ!)そして、そのまま緑色の光のトンネルの中を戻りはじめた。
円盤に戻ると、アミはじゅうたんの上にそっとビンカを下ろした。僕は直ぐさま彼女にかけより、アミは操縦席に戻った。
光のトンネルが消えて、円盤の入口が閉まると同時に、診察室の扉が破られ、黒い服を着た数人のテリが部屋の中になだれこんだ。そしてまた同時に、精神科医も身体の自由を取りもどして、直ぐ目の前にきていたPPに、いきなりしがみついた・・・。
「これからこのかわいそうな男は、自分の投げた”ブーメラン”を受け取ることになる」
アミの口調には、あわれみがこもっていた。
PPであるテリの、正確で強力なパンチを雨のように浴びて、医者は床にたおれた・・・。
それから少しして、手錠をかけられた精神科医が、両側をPPにはさまれて連行されていった。なにが起こったのか、まるでわからないに違いなかったんだ。彼はしきりと”説明しろ!”とわめいていた。
ゴロとクローカも連行された。二人も同じように声をからして叫び続けていたけれど、それは悲痛なものだった。”ビンカを返せ!” “ビンカを返して!”
PPの何人かが診療所に残り、部屋中をひっかきまわし、目につくもの全てを証拠として押収していった。時々、円盤が浮かんでいたという目撃現場の窓の外を見たりしていたけど、残念ながら、僕達を見ることはできなかった。勿論、円盤が視覚不可能な状態になっていたからだ。
「あの精神科医のせいで、なにもかもが、しちめんどうなことになってしまったわい」
とクラトがなげくと、
「いや、元々はゴロがいけない」
アミがきっぱりと言った。
「ゴロにしろあの医者にしろ、彼らがああした行動に出ることはわかりきっていたことなんだ。テリっていうのはそういうものだからね。だからこそ、コンピューターにははっきりと、不-可-能と出ていたんだよ。どうしたって手ごわい」
僕はといえば、ビンカがちゃんと目をさますかと、ひたすらやきもきしていた。幸い彼女は、少しずつ意識を取りもどしていたけれど。
「ゴロとクローカがPPに対してどう証言するか。これからは、全てそれ次第だ」
操縦桿を握りながらアミが言った。円盤はものすごいスピードで上昇をはじめた。
「精神科医の証言も重要じゃないかね」
とクラトが言うと、アミは操縦桿を握ったまま、
「いや、彼はもうなにもしゃべらない。だってもう、彼は、ビンカや我々に関することは勿論、友人のゴロのことや、自分自身についてまで、ありとあらゆる記憶を永遠に失ってしまったんだ。僕が彼に、ちょっとしたことをしたせいでね。あの小さな器具はそのためのものだよ」
「おお!そうだったのかね!ホッホッホッ!」
ビンカはもうすっかり回復して、元気になっていた。頭に小さなコブができていたけど、それだけだった。ビンカが意識を失っていた間に起こったことを説明すると、ビンカは真剣な眼差しになって言った。
「アミ、私のおじさんとおばさんを助けて!」
「みんなで全力を尽くしてがんばろう、ビンカ。そのために、これから助けを求めにいくところなんだよ」
「どこへ行くの?アミ」
「とても、特別なところだよ」