レビュー

「分離から統合へ 「人類の目覚め」を紐解く二つの異なる切り口」 を読んで Part3

言語は分離のツール

・「無分別智」というのが究極の統合。要は、こだわりが無くなると恐れがなくなる。
あの世の智慧。学問や科学は分離。
無分別智は言葉では語れない。言語を使った瞬間に分離が発生する。例えば名前を付けるだけでも分離になる。つまり、本当は統合を言葉で表現することは不可能。「自分の内側にあるものが外の世界に表われる」と語る前まではそのとおりだが、語った途端にこっちの分離の世界に来てしまう。

・左脳の世界は自分という範囲が一人ひとり全部違う。一人ひとりの違う宇宙を作っている。その違う宇宙には、それなりの真理がある。そうなると、内側の世界が外に現れるう話をしても、その人にはなかなか入っていかない。

・例えば、遅刻してくる人を許せない人というのは、遅刻が問題であり、いけないことだという判断をしているわけだ。そしたらその遅刻という判断を手放せば、もう問題だととどまらなくなるので、遅刻を問題だと見なくなる。しかし普通は理性と理論で手放しなさいと言っても、通じずに簡単には手放せないというのが常識だ。その場合は瞑想をするといい。

・6か月のトレーニングでは、まず「考えない」「行動しない」「判断しない」「コントロールしようとしない」。その代わりに「感じる」というのをする。これは左脳側の分離の世界のトレーニングになる。すぐに「いい/悪い」の判断をする訓練を受けていたわけだから、そこから抜けることは大変だ。そのために「鳥の瞑想」という瞑想を作った。

・自分の斜め後ろ右側に、3メートル離れて鳥が飛んでいる。この鳥が自分を見ている。自分は起こったり喜んだりする。しかし鳥は常に「客観的に」「冷静に」「中立的に」「いい/悪いの判断をしないで」自分を見ているという瞑想。これだけで統合に行った人が何人もいるらしい。この鳥というのは、本来は無分別智の側、統合の世界、あの世の世界にいる真我の象徴。真我はハイヤーセルフやガイドの概念に近いが、「いい/悪い」が出やすくなるので、鳥にしている。

・例えば4人がイタリアンで自分1人だけがフレンチで意見が分かれた場合は、4人に合わせてフレンチでいいと言うのではなく、私はフレンチがいいと言うことが必須。フレンチに行くために言うのではなく、自分に一致するのが目的なので、必ずそう言うこと。結果としてイタリアンになっても結果は目的ではないので全く問題ない。で、フレンチがいいと言った時に出てきた違和感を統合で外していく。そうやって外していくことで自分の意識が本当の自分に繋がるので波動があがり、目を覚ましていく。目的は目を覚ますことなので、現実を良くなることはどうでもいい。

・自分の本音を出すということが何よりも大事。自分に一致している本音を表現するとスッキリする。本音は洗いざらい全部言うことだ大事。相手がどう反応するかはどうでもいい。あなたが今感じていることを相手に対して表現することで、あなたがスッキリする。このスッキリが周波数になってスッキリした現実を映像化し始める。だから本音を言うことだ。自分がスッキリ存在するために。

目覚めの心理学的説明

・フロイトは抑圧されてモンスター化した性欲が神経症などの原因になっていることなどから、表面的な意識では検知できない潜在的な意識の存在を発見して、それを無意識と名付けた。
その後、性欲以外にも死の恐怖やバーストラウマ(母親の子宮から強制的に追い出されたという、誰もが持っているトラウマ)などのモンスターも発見された。
トラウマは耐え難い経験による精神的外傷。シャドーは「こうあるべきだ」と自分を律してきたときに「こうあってはいけない」と無意識的に抑圧してモンスター化した衝動や部分人格(狭義のシャドー)。実際には私たちは親子の葛藤に起因する親のモンスターなどの無数のモンスターを抱えて生きているとうのが実情だ。それらのモンスターを全部ひっくるめて「シャドー」と呼ぶ心理学者もいる(広義のシャドー)。

・ほとんどの人はこれらのモンスターのエネルギーに動かされて生きている。個人だけではなく、社会全体の推進力もモンスターのエネルギーだ。並木さんが眠っていると表現したのはこの状態だ。

・もしあなたが、誰かに嫌悪感を抱いたとしたら、それはあなたの無意識層に潜むモンスター(シャドー)に同じ要素を抱えている証拠だと深層心理学は教えている。モンスターは無意識層に潜んでいるので、自分では存在がわからず、それを他人の中に見つけてしまうのだ。これを「シャドーの投影」という。世の中のあらゆる争い、戦いは「シャドーの投影」によって引き起こされる。戦いは相手があるケースだけではなく、地位、名誉、富、あるいはマイホームを獲得する戦いのど、全てモンスターのエネルギーで駆動されている。
並木さんが言う「眠っている人生」のひとつのパターンが「戦う人生」だ。戦いの結果、社会的に成功を収めても、モンスターのエネルギーに駆動されているので、「恐れと不安」はなくならなず、さらなる戦いに駆り立てられるという人生を歩むことになる。
よくボクシングなどで「ハングリー精神」という言葉が使われる。幼少期に辛い人生を歩んでいる人のほうが戦いに強いという意味だ。これは、幼少期の葛藤で強力なモンスターが育っており、それを上手に戦いのエネルギーに昇華しているということ。
モンスターは否定的はエネルギーなので、自己否定などの源でもある。モンスターに押しつぶされて、鬱になったり、引きこもったり、「後ろ向きの人生」になることもある。これも「眠っている人生」のひとつのパターンだ。

・「モンスター(シャドー)」をすっかり悪者として捉えてしまっているだろう。しかしそれはフェアとはいえない。今の世の中では美徳とされている、努力とか向上意欲などは、主としてモンスターのエネルギーの貢献です。私たちはそのおかげで能力を伸ばし、競争に勝ち、社会の中で貢献できるようになったのだ。もっと大きな構図では、文明が発展し、経済が成長してきたのも、モンスターのおかげといえる。今までの社会は、モンスターのエネルギーが推進力だったのだ。人々が切磋琢磨して、激しく競争する活力ある社会、また争いの絶えない社会というのは、モンスターの特徴がそのまま反映されている。

・フロイトが発見した無意識の説明をしてきたが、ユングはその奥底に「神々の萌芽」と呼ぶ、聖なる存在が眠っていることを発見した。これはヒンズー教で「真我」と呼ぶ存在。または仏教ではその性質だけをとらえて「仏性」と呼ぶ内容に重なる。心理学が宗教的な領域に入り込んでいったのだ。「もうひとりの自分(野生の自分)」とは宗教的な「真我」や「仏性」では省いている、抑圧されて歪む前の健全な性欲とか食欲とか、肉体を持ったがための衝動を含めて再定義している。

・一般にハイヤーセルフとか守護霊と呼んでいるのは真我のことだ。この真我の基本特性は「無条件の愛」もしくは神の愛だ。また、「真我」とか「もうひとりの自分」というと「ひとり」という印象があるが、ユングのいう「集合的無意識」を象徴していて、全てと繋がった存在でもある。

・モンスターが大暴れして「眠りの人生」「戦いの人生」「後ろ向きの人生」を歩んでいる間は「真我」は眠っている。モンスターがおとなしくなってくると、少しずつ「真我」が目を覚ましてくる。今まで、モンスターのエネルギーを推進力にしてきた人生から、「真我」のエネルギーを使えるようになることが「目覚め」なのだ。

Part4に続く

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