魂の法則

魂の法則【最初の出会い】

魂の法則【序文】

最初の出会い

最初に言葉をかけてくれたのは彼だった。僕の手を取り、一緒に向かい合って座るよう勧めてくれてから、こう言った。

よく来たね。君を待っていたのだよ。

僕を待っていたですって? 僕はあなたを知らないのに。

私は君を知っているよ。でも、今はそんなことは重要ではない。

ええと、僕は・・・・・、一体どこにいるんですか? どうやってここに来たんだろう。

それも今は重要ではない。そのうちわかるだろうから。

では、あなたはどなたですか?

イザヤと呼んでくれて構わない。君が今私のことを思い出せなくても、私たちはずっとずっと昔からの知り合いだ。

それで、あなたと私とはどういう関係なのですか?

私が君のお兄さんにあたる、とでも思ってくれればいい。

あなたにお会いしたことを全く覚えていないのですが?

そのことは今はどうでもいい。もっと大事な事柄について質問するために時間を使った方がいいだろう。質問はなかったのかい?

質問? 何の質問のことですか?

覚えていないのかい。ずっと以前から抱き続けていて、未だに回答の得られない、君の心の奥底にある質問のことだ。

どうしてそのことを知っているのですか?

君のことを知っていると言ったろう。君の内面をよく知っているのだ。だから、恐れないで聞いてもらって構わない。ここでは君は完全に自由だ。

僕は混乱しています。ここは本当に素晴らしいところですね!とても気持ちがいい。普通の世界とは大違いだ!平和で、何かに・・・・・・、何と言えばいいんだろう、何かに満たされていて・・・・・・。

愛に満たされているのだ!

・・・・・・、それは、わかりません。これまでにこんな気分になったことはなかったので。でも、本当に素晴らしいです。

それが普通なのだ。君にとっては初めてだからね。この人生では初めてここに意識的に旅して来たのだから。でも、時間を有効に使っておくれ。君の深い疑問を取り出してごらん。

どこから始めたらいいのかわからないのですが、自分が空虚に感じられ、孤独で理解されていないと思うことがよくあるのです。どうしてそのように感じるのでしょうか?

それは特別なことではないし、多くの人も同じように感じている。それは、君たちの住む世界に愛が欠如していて、人びとが背を向け合って暮らしているからだ。
孤独感というものは、愛されていないという思いや理解されていないという思いから生じるので、周りを多くの人に囲まれていても、世の中で独りということがあり得るものだ。君たちの世界の大多数の人はこんなふうに何も感じることなく、真実の愛がない内面の孤独の中に生きることに慣れてしまった。君たちは、全員が兄弟であり、同じ目的地に向かっていることも、そこに達するにはお互い同士が必要になることもまだ理解していないから、それで、自分が独りだと信じてしまっているのだ。

僕たちが到達しなくてはならない目的地とは何ですか?

真の幸福だ。だがそこには、愛において成長しない限り到達できない。唯一、愛のみが、内面の空虚感を埋めることができる。特に気にかかっている質問はあるかね?

僕を悩ます最大の質問は、「どうして存在し、何のために存在しているのか」です。僕は何のために生まれたのでしょうか? 何かをしにやって来たのでしょうか? どうして何をしにやって来たのか、覚えていないのでしょうか?

君は進化するために生まれて来たのだ。

進化するとは、どういう意味ですか? 何において進化するのですか?

エゴ(我欲)を愛に変化させていく過程を、私は進化と呼ぶ。進化とは、愛することを学ぶことだ。

愛における進化を話されているのですね。でも、僕がこの世で目にするものは愛ではありません。苦しみは何のためにあるのでしょうか? どうして、最も美しいものから最も残酷で破壊的なものまでが混在する、こんなにも矛盾に満ちた世界に住んでいるのでしょう。憎悪、戦争、飢餓、貧困、苦悩。僕には、これらの存在理由がわかりません。何らかの意味があるのですか? それとも、答えは見出せないのでしょうか?

もちろん意味はある。進化のためだ。君が、今言ったこれらの災いはすべて、愛の欠如、つまりエゴと呼ばれる同一の源から生じたものだ。各人のエゴが集積すると、現状のようにこの世を完全な地獄にしてしまうが、それぞれのエゴが愛に変わって合わされば、この世を天国に変えられる。内面をエゴから愛に変えるのは、各人の意志にかかっている。
内側を変えることができれば、当然の結果として、君たちの周りの外側を、そして世界全体を変えることが可能になる。君たちを取り囲む外界は、自己変革を手伝うためにあるのであって、型作りを教わりたい子どもにとっての粘土のようなものなのだ。

やっぱりわかりません。何のために、どこに向かって進化するのですか? それに最後に結局、すべてが死に帰すのだとしたら、そのような努力に何の意味があるのでしょうか?

愛や感情や知識の能力を高めながら、より高次の幸福に近づいていくという各人の進化には、決して終わりがない。もし終わるのだとしたら、意味がない。

それはどういう意味ですか?

人が存在しなくなることはない、つまり不死ということだ。

毎日、何千何百万という人が死んでいるというのに、どうしてそう言えるのでしょう?

死んでいるのは、人が物質界で存在するために使用する乗り物、つまり肉体に過ぎない。人の本質や意識はそのまま存在し続ける。

それは、死の後にも生が存在するということですか?

そうだ。実際に私が言いたいのは、死というものが存在しないということ、朽ちてしまうものは、魂が物質界に顕現できるように使用する、乗り物に過ぎないということだ。

魂とは何ですか?

魂とは、生きて感じることのできる存在のことだ。個人の意志や意識が宿るところが魂であり、決して破壊されることがない。
君は魂だ。君たち人間は全員が魂で、転生と呼ばれる期間の間だけ、物理的な肉体に繋がれている。君たちは自分自身を肉体だと思っているが、肉体は、この物質界で活動するために必要とされる衣服に過ぎないのだ。

確認したいのですが、それではあなたは、魂が、つまり僕ら自身が、肉体からは独立して存在できると言いたいのでしょうか?

その通り。それが死後に起こることなのだ。魂は完全に肉体から離れて存在し、生き続ける。

では、魂が死ぬことはないのですか?

死ぬことはない。魂は不死なのだ。進化したり改善したり停滞することはあるが、決して破壊されはしない。

でも、肉体の死を越えて命が存在する証拠があるのでしょうか? 私の知る限り、あちら側から戻って話をしてくれた人は、一人もいないのですが。

異議を唱えて申し訳ないが、そう言い切ることが完全に正しいとは言えないな。臨床学的には死を迎えて、そこから生き返った人の証言は山ほどある。これらの人びとの多くは、肉体的に死んでいる間に、強烈で、彼らにとってはリアルな体験をしたことを覚えているのだ。

それらの体験談は、非常に危機的な状況下での幻覚が生んだ産物だとは考えられませんか?

それならば、皆で同じ幻覚を見ようと同意した、集団的な幻覚だということになる。なぜなら、皆が同じ話をしているからだ。

僕は時々、自分の存在自体が幻覚ではないのかと疑ってみることがありますが。

幻覚を見るためには存在しなければならない。君たちの世界の偉大なる哲学者の一人も言ったろう、「我思う、故に我あり」と。私だったら、それに「我感じる、故に存在する」と付け加えるがね。
他人の経験は、自分の経験ではないので、疑うことは可能だ。だが、自分が経験したことには疑いの余地がない。自分の経験とは、その人自身によって体験されたもので、実際にそれを感じ体験した人にとっては、紛れもない現実なのだ。

先の皆が共通して話しているという話とは、どういうものですか?

肉体からの分離と、外から自分の身体を見ること。暗いトンネル内を旅する感覚と、通り抜けた時にまぶしい光を感じること。以前に亡くなった家族や友人との再会。光の存在との会話。自身の人生の回願。
それに、肉体に戻ってから、その後の人生観が変化したり、死という現象の捉え方が変わったという場合もある。こういう体験をした人は、生が継続することを知り、自分が置き去る人生よりもずっといいことが待っていることを経験したので、死に対する恐怖がなくなるのだ。

僕にはやはり、主観的な印象に過ぎないように思えますが。

これらの証言を表面的に個別に分析するなら、正当性を疑うのは簡単だろう。しかし、国や文化や信念の違いにもかかわらず、非常に似通った特徴を持つ現象が、大人に限らず子どもにも、何度も繰り返されている場合には、少なくとも、この件に関する真剣な研究がなされるべきではないだろうか。
君たちの世界にも、アメリカの精神科医で哲学家であるレイモンド・ムーディ博士や臨死体験をした子どもたちの調査をした小児科医で神経学研究家のメルヴィン・モースのように、臨死体験を入念に調査することに専念して体験談を取りまとめた、真面目で著名な研究家が沢山いるだろう。『かいまみた死後の世界』(レイモンド・ムーディ著/評論社)と『臨死体験 光の世界へ』(メルヴィン・モース著/阪急コミュニケーションズ)を読むことを勧めよう。

そうだとしても、僕には、死後の生の存在の証拠としては、偶発的で根拠に欠けるように思えます。亡くなったまま戻らない人たちに比べると、臨死体験をして生き返ったケースの割合は少ないですから。

君たちが死と呼ぶ、肉体との最終的な分離の過程にいる死にかけている人たちからの証言はもっとずっと沢山ある。この過程にいる人の多くが、すでに亡くなった親しい人たちや向こう側への移行を助けてくれる光の存在を見たり、彼らと話したりした、と断言している。でも普通は、幻覚を見ているのだと思いこむ。どうやら死が近づくと、またもや世界中のあらゆるところで、同じ幻覚を見ようと皆が約束でもするらしい。
世界的に権威のある精神科医のエリザベス・キューブラー・ロスのように、このテーマを真剣に研究することに専念した熱心な研究者も沢山いる。彼女の『死ぬ瞬間』(中央公論新社)を読んでみたらどうだい。

でもこれらは全部、臨死体験をしたとはいえ、肉体的には生きている人たちのケースではないですか?

肉体を持たない存在とコンタクトをした、という証言もある。よくあるのが、最近亡くなった親しい人が、はっきりと夢の中やベッドの足元に現れて、お別れを言うケースだ。これは、研究者によってあまり調査はされていないが、結構、頻繁に起こるケースだ。

それにしても、生と死の境での出来事に限定されずに、もっと確固たる証拠があってもいいと思いますよ。

霊界とのコンタクトを、もっと頻繁に、持続して取れる霊媒(敏感な人)もいる。

それは、なおさら信じられないのですが。

鵜呑みにしなくてもいい。だが、伝えられるメッセージをよく吟味して分析してごらん。メッセージの質で発信人がわかるだろう。

でも、どうしてそれがいかさまではないとわかるんですか? つまり、自称霊媒師がどうして死者のふりをしていないのだとわかるのですか?

いかさまは常に可能だよ。しかし、偽札を造る人がいるからといって、すべてのお金が偽物とは限らないように、霊媒だと偽る人がいるからといって、すべての霊媒師が詐欺師やペテン師だという訳ではない。
詐欺にあわないためには、日常生活において正直で、自己の利益のために能力を使ったりしない霊媒師を選ぶことが一番確実だ。
生まれつき何らかの霊媒体質で、子どもの時からこの能力が目覚めている人は、君が考えている以上に多いものだ。しかしながら一般的には、周囲から拒絶されたり理解されなかったりするので、その力を抑制してしまうのだ。
また、能力を適切に開発できて社会の利益に使おうとするごく小数の者は、嘲笑の対象になったり日常生活で足を引っ張られたりしないように、目立たないようにやるものだ。

どうして霊媒能力のある人とない人がいるのですか? それは何の違いによるのでしょうか?

それは、各魂の進化の計画による。霊媒になるというのは、転生前に選んで設定されることなのだ。他の人たちを援助することによってその能力を正しく使うことができれば、その人がより速く進化するために役に立つ。これは、魂が前生で行った行為と深く関連している。

魂が生まれる前から存在していて、他の人生も経験したことがあると言うのですか?

その通りだ。魂が現在の人生で遭遇する状況や試練は、過去の人生や、転生と転生との間の期間に、自分が下した決断と密接な関係がある。

過去生、つまり生まれる以前の人生を証明してみせるどんな根拠があるのでしょうか?

過去生の記憶を持った人たちの証言がある。これらは自発的(特に子どもの場合)なものであったり、退行催眠によって誘発されたものだ。この件に関してはかなりの文献が揃っている。
子どもたちの記憶に関しては、「前世」を「覚えている」小さな子どもたちを対象に輪廻転生と思われる事例を研究しているカナダの精神医、スティーヴンソン (Stevenson) の研究論文を読んでみるといい。現に、輪廻と思われる2500以上のケースを世界中で調査してきた。彼は本を2冊以上著しているし、心理学と精神学の専門雑誌にもいろいろな論文を発表している。『Twenty Cases Suggestive of Reincarnation (生まれ変わりを示唆する20の事例)』(未邦訳)はお薦めだ。

これらは全部、想像が生み出したものではないのですか?

想像や精神的な混乱やその他の要素が原因となるケースがあることは認めるが、過去の人生の詳細を具体的に覚えていて、しかも歴史的な裏づけが取られた事例は、もっと沢山存在しているのだ。彼らは、地名や事件や名前などを詳細に覚えているのだが、その多くが、今生では一度も行ったことない国々でのものなのだ。
特筆すべきなのは、幼い子どもにみられるのだが、今生では聞いたこともない前世で話していた言語を、急にしゃべり出すことさえあることだ。彼らは大抵の場合、2歳から4歳までの子どもたちで、別の場所や別の時代に生きた過去生のことを両親や兄弟に話し出す。こういう子どもは前の人生で経験した事柄に強く興味を惹かれ、しばしば前に暮らしていたという家族の元に返して欲しいと頼むのだ。

まあ、子どもというものは、想像力が豊かですからね。これらの証言に確証を与えるのは難しいでしょう。

だが、「想像」したことが現実だと証明できたとしたなら、それは天才的な想像力ということだね。一方で、退行催眠によって、前世の記憶を取り戻す大人のケースも沢山ある。

催眠にかかって想像力が膨らんだために、前世を思い出したと錯覚したのではないですか?

もう一度同じことを言おう。想像力や他の要因の産物であるケースが存在するのは認めるが、歴史的に裏づけされた過去生の詳細を具体的に覚えている人たちの事例は、もっと沢山存在しているのだ。また、多くの人が、輪廻を認めない宗教的信仰を持っているにもかかわらず、退行催眠にかかると前世に起こった事柄を思い出すことも注目に値する。しかし、暗示によるかもしれないものと、前世の記憶かもしれないものとを区別するために、これらはすべて真剣かつ入念に調査されなければならない。
心理医学者で『Life Before Life(生以前の生)』(未邦訳)の著者であるヘレン・ウォンバック (Helen Wambach)や『未来世療法』(PHP研究所)を著した精神病医のブライアン・ワイス、または前述のレイモンド・ムーディの『Coming back(戻って来る)』(未邦訳)にみられるように、退行催眠にかかった人から得られた返答から、前世の存在の可能性を真剣に探求した研究者は沢山いる。彼らは何千人もの人に催眠をかけて、生まれる前に実在したかもしれない過去生に関して質問し、その回答を調査したところ、これらの経験には一連の共通項があることがわかり、似通った結論に達したのだ。

その似通った結論とは何ですか?

肉体の命というものは、決して終わることのない真の命の一瞬に過ぎないということ。肉体の死はおしまいではなく、より自由な存在へと移行する一段階に過ぎないこと。我々は皆、先に向こうへ渡った愛する人たちと再び出会えるのだということ。そして愛する人たちとは、別の転生でも巡り会えるということ。我々の一人ひとりに、物質界を自由に探求しながら、自分自身の力で知識や愛において成長していけるように用意された計画があること。この人生で出会う状況は偶然の産物などではなく、前世の行為の結果であること。我々は生まれる前から、今生で取り組む試練を知っていて、それらを上手く乗り越えようと周到に用意してきたこと。

なぜ過去生の体験がある、ということが言えるのですか? 過去生でも今生と同じような意識状態でしかなかったのですから、今と同じように前世の存在を自覚できなかったのではありませんか?

なぜなら、過去生を詳しく覚えているだけではなく、同時にどうしてそのような人生や試練を経験しなければならなかったのか、その理由も覚えている人がかなりいるからだ。つまり、物理的な生と生の間の肉体を持たない期間に起きたことも覚えているのだ。
心理学博士のマイケル・ニュートンのように転生と転生の間の記憶を専門的に調べている研究者もいる。ニュートン博士は、人びとを深い催眠状態にすることに熟練していて、転生と転生の間の記憶を思い出させることで、どうして特定の時期に、特定の家族や環境の下に転生することを決断したのかを思い出させるのだ。『死後の世界が教える「人生はなんのためにあるのか」』(パンローリング)と『死後の世界を知ると、人生は深く癒される』(ヴォイス)を読んでみればいい。

各人生で僕らが経験しなければならない試練や環境とは何で、どうしてそうしないといけないのですか?

そのような試練の多くは、我々が他者にしたことを自分自身で味わって、自分が招いた状況の結果に直面して、自分の行為が他者に及ぼした苦悩や喜びを自覚できるようになるためのものだ。本当に種々様々な試練があるのだが、一般的には、我々がエゴを解き放って愛において成長できるようにと意図されている。

自分が肉体ではなく魂であることを自覚するには、実際に死んだり臨死体験をしてみる必要があるのでしょうか?

その必要はない。
実際、君たちの誰もに一時的に肉体を離れる能力があるし、実際睡眠中にはそれが無意識に起こるのだ。でも、特定のリラックスの技法によって、意識的に肉体との分離を誘発させることができる人もいる。幽体離脱は、意識が肉体に縛られてはいないことを実証してくれている。

幽体離脱とは何ですか?

肉体から一時的に分離することだ。しかし、どうしてすでに知っていることを質問するのだ? 君はここにその方法で来たのではないのかい?

僕は、他の人たちが言っていたことを試そうとしていただけなんです。理論と実践は別物ですから。でも、こんなことが実際に起こるとは思ってもいなかったんです。

実際に起こるのだ。君の身体はここにはなく、君のベッドの上に横たわっている。だが、君自身はここにいる。

あなたが言いたいのは、身体がなくても僕たちが生きていられるということだけではなくて、物理的に生きたままで、死んだりせずに身体から出たり戻ったりできるということですか?

その通りだ。

では、具体的に何が肉体から離れるのですか?

説明した通り、魂が、物質界での活動に使用する衣に過ぎない肉体から離れるのだ。だが、この分離は一時的なもので、両者の間には常に決して壊れることのない繋がりが存在し、それによって健康を損なわずに魂が肉体に戻ることが可能なのだ。それが、シルバーコードと呼ばれるものだ。

シルバーコードとは何ですか?

アストラル体と肉体とを結ぶひもだ。アストラル体が抜けても、肉体が生命を維持するために必要となるエネルギーを供給する、へその緒のようなものだ。霊能者たちは、この「コード」は銀色がかっていて、アストラル体が身体からどれだけ離れようと、必要なだけ伸びることのできる伸縮自在のひもみたいだと言っている。つまり、魂が肉体を離れて遠くに旅する時には、とても長い距離まで伸びることができるのだ。

身体から離れて、魂はどこに行くのですか?

各人の思考が赴く場所へ。アストラル界へと。これは、人間の成長に必要なエネルギーの流動に応じて自然に起こるのだ。睡眠中のこのような旅ではエネルギーが供給され、霊的にもっとレベルの高い存在たちが助言をくれたり導いてくれるので、後の実生活が容易になる経験も与えられる。
このことに関してもっと知りたければ、オリバー・フォックス(Oliver Fox)の『Astral Projection(幽体離脱)』(未邦訳)を読むようアドバイスしよう。

アストラル体? アストラル界? 霊的存在? 駄目だ!少し待ってください!もう、ついてい けません。

私はただ君が質問したことについて答えようとしただけだ。だが、話題がいろいろ飛ぶので、どれも深く掘り下げることができないでいる。もしよければ、君も身体に戻る時間だし、これで一旦、打ち切ろう。
独りになって、探求したり思いをめぐらさなければならない事柄が、今はかなりあるだろう。君に推薦した本を探して読むようにしてごらん。この体験が、君の頭が作り出した幻覚ではなく、本当に現実だったと自信が得られるような確証を与えてくれるだろう。

その全部を覚えていられるか自信がないのですが・・・・・。

心配しないでもいい。その気になれば、本を見つけ出すために必要なことを思い出すだろう。君がまた私に出会えるのを望んでいるとしてだが、次に会った時に私に質問ができるように、それまで新たな疑問を集めておくといい。

いつまた会えるのですか?

それは君次第だ。私たちが表面的に取りかかり始めたテーマについて、君がどれだけ掘り下げたいのか、あるいは、このままにしておきたいのかによる。

あなたと話すにつれて、進化についてや霊魂の不死性のようなことに関して、もっと質問が湧いてきたのですが。

それはまた別の機会にとっておきなさい。今見たように、他のテーマには触れずにある話題の一面を掘り下げるのは不可能に近いのだが、テーマ毎に質問に取り組んでみることとしよう。それらの回答も、さらに詳しい説明が要求される別の質問へと発展していくことだろう。

今のところは、まだあなたのお話を懐疑的に聞いているということをわかって下さい。

理解できるよ。
君が心から答えを求めていて、聞く耳を持っていることは知っている。そうでなければ、私はここにはいないだろう。君は慎重に話を聞いたと思うし、私たちが話した内容を反芻するのに時間が必要なのもわかっている。私にはそれで充分だ。弟よ、また会おう。

イザヤ、さようなら。

そして、ほとんど別れを言う間もないまま、グイッと引っ張られると、外にはじき出された時に感じたのと同じ勢いで、光の速度で落下する感覚があり、自分の身体に突入した。身体に戻るのは、しんどいことだった。あの夢のような場所で、甘く穏やかな波動を感じながら身体の外にいる身軽さと比べたら、なんという違いだろう!寒さを感じた。酔ったように吐き気がして、100キロもある鉛の鎧を着せられたかのように重たく感じた。しばらくは身動きすることも話すこともできなかった。自分に起こったことを自覚し始めたのはこの時だった。強い衝撃を受けて、感動のあまりに泣いた。

それは、僕の人生の中で最も不思議な出来事だった。それに続く数カ月、僕は日常の生活に戻ろうとしたが、どんなに頑張ってみても、もう物事を同じようには見られなくなっていた。ほとんどすべてのことが世俗的に思えた。日頃の心配事や仕事も。自分の周りで起きている出来事を見も聞きもせず、その体験のことばかりを考えながら、ボーッとすることが多かった。家族や友人など誰かにこのことを話したいと思ったが、僕の常識が、頭が少しおかしいと思われるだろうし、理解してもらえないだろうからやめておけ、と言った。エイリアンみたいによそ者の気がした。一体どれだけの人がこれと同じ体験をしたのだろうかと考えてみた。

時間が経つにつれて、疑惑がもたげてきた。もし全部が幻覚で、僕の想像力が生み出したものだったとしたら? その考えに逆らおうとして、イザヤが僕に言ったことを思い出した。 「君に推薦した本を探して読むようにしてごらん。この体験が、君の頭が作り出した幻覚ではなかったと自信が得られるような確証を与えてくれるだろう」

そこで、インターネットで本を探し始めた。著者もタイトルも思い出せなかったけれど、僕たちの会話を思い出せるキーワードは覚えていた。グーグルに「輪廻転生、過去生、死後の生」と入力してみると、本の著者の名前や題名が現れてきて、その中でイザヤが教えてくれた名を見つけることができた。彼が僕に言ったことを一点一点確認しながら、それらを入念に読んでみた。もしあれがただの幻覚だったとしたら、かなりいい線をいっていた。

もう一度、イザヤに会いたくなった。彼の優しい目に癒されたかった。もう一度、平和を感じたかった。本を読んだことで、僕と同じ質問に答えようとしている人たちがいて、彼らが答えを見出だそうと取り組んでいることがわかった。だけど一方で、もっとずっと沢山の疑問も出てきてしまったので、それらをノートに書き留めて、またイザヤに会える機会があったらと、時々頭の中で反復して思い出せるようにした。そう認めたくはなかったが、イザヤに、僕の疑問を晴らしながら教えて欲しかった。僕の質問に対する誰かの答えが胸の奥にまで達したのは、あの老人が初めてだったからだ。おまけに、とても愛されている気持ちにさせてくれて、居心地が良かった!まだ懐疑的ではあったけれど、僕の内の何かが、正しい道を進んでいると教えてくれた。

それで、イザヤに再会する希望を持って、またもやリラックスの練習を始めた。そして、再び身体から抜け出たのだ。今回はそれほど努力を必要としなかった。たった5回やってみただけで外に出られた。同じ旅をして、同じ感覚を味わった。そして、彼はそこにいた。満面の笑みを浮かべて、最初の時と同じ癒しのまなざしで、再び僕を待っていた。

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