「愛の法則」から見た病気
肉体的な病は、特定の感情やそれを抑圧することと関係がある、と何度も言われましたが、それを掘り下げてみたいのですが。
そう、感情を黙殺してしまったがために魂が病気になった人は多く、魂が病気になると、肉体も魂と密に結びついているので、病気になってしまうのだ。
肉体的な病気なのに、感情面に起因しているのですか?
その通りだ。君たちの世界では感情を抑圧することが、精神的にも肉体的にも病気の最大の原因となっている。
精神病に関してならそれに同意できるのですが、癌はどうでしょうか? 癌は遺伝子の異常で起こる、と科学的に証明されていませんか?
遺伝子の異常は癌のすべてのケースに認められるが、多くの場合、それが最初の要因ではない。
では、最初の要因は何ですか?
話した通り、原因は精神的なもので、霊的な内面を抑圧したことと関連がある。
人は感情に従って生きて行動しなければ、内部に深い不快感が生じて苦しむ。それが、怖れ、憤り、憎しみ、悲しみといった精神的に有害な「エゴ的感情」を生み出し、それらが病気の原因となってしまう。
人生で直面できないような困難な状況に出くわして、気持ちが滅入ることがある。そのような場合を感情的トラウマと呼ぶとしよう。
感情的な不快感はどのように肉体に影響し、最後に病気となってしまうのですか?
精神的に調子が悪い時には、霊体とメンタル体との間でショートが起きていて、それがエネルギー体(アストラル体)に伝達されると構造を乱して、波動を下げてしまう。
この「エネルギー低下」は、送電系の一部が停電したように、アストラル体の特定の箇所に支障をきたし、そこと繋がっている身体の部分にきちんと活力を与えられなくなってしまう。こうして生命エネルギーが不足して活力をなくした領域は身体の残りの部分と連動しなくなり、その結果、活力を失った組織は他と調和して機能できなくなってしまう。
エネルギーの供給が途絶えると、通常の細胞の機能は影響を被り、遺伝子異常が起こり始め、細胞が破壊されて進行性の病となったり、細胞が制御不能なほど増殖し始めて癌を発生させたりする。
この話は、アストラル体について話していた時に推薦して下さった、物理学者バーバラ・アン・ブレナンの著書『光の手』と『癒しの光』(ともに河出書房新社)の中で、病気について書いてあったことを思い出させます。
彼女によると、精神的もしくは感情的な問題は、暗いまたはくすんだ色合いの部位としてアストラル体に現われ出て、その原因は、当事者が抱いていた否定的な考えに根づいているとのことです。これが消えずにアストラル体に留まってしまうと、当人の肉体にも遅かれ早かれそれが現れて、病気を引き起こすのだそうです。それでは、これは正しいのですか?
まさにその通りだ。
新ドイツ医学を宣言したドイツの医師、ライク・ゲールト・ハマー(RykeGeerdHamer)の推論も思い出されます。
ハマー医師によれば、癌やそれと同等な病気はすべて、独りで経験しなければならなかった極度の感情的トラウから発症するそうです。そして、トラウマの種類によって、癌が発生する器官が異なるそうです。それに、感情の葛藤があるとまず脳に影響して、そこで一種のショートを起こし、それから、その脳の部位に対応していた肉体領域が病気になるとのことです。また、原因となった感情的トラウマを解消すれば病気が治る、と主張しているのですが、この医師の言っていることは正しいのでしょうか?
100%ではないが、彼が言っていることはかなり正しい。すべての病気が感情的葛藤から生まれる訳ではないが、大半はそうなのだ。
では、感情の葛藤を解消すれば病気を治せる、ということについてはどうですか?
それは正論だが、問題を解決できるためには、本人にかなり深い変化が起こらねばならない。「エゴ的感情」にしがみついたままで感情を抑圧し続ければ、一つの病気が治ってもまた別の病気になる。それは、特定の葛藤を解消できたとしても、同じような「エゴ的感情」を引き起こす別の葛藤が再び現れてしまうからだ。こうして病気の根本的な原因に行き当たる訳だ。
本当に病気を発病させる原因とは、エゴとその顕現形態なのだ。そして、治癒効果があり健康にするのは、愛とそれを表現することなのだ。これは、確かに断言できることだ。
しかし僕たちには、大なり小なり、そういうことが起こるのではないでしょうか? つまり、ほとんどの人に、憤りや悲しみや攻撃欲を目覚めさせて不機嫌にさせるような物事が、人生ではいろいろと起こるのではないでしょうか?
僕は、感情の抑圧についての説明がかなり自分に当てはまると思いましたが、癌になっていないのはなぜでしょう?
確かに、君たちは時々病気になるが、癌のように本当に重い病になるには、感情的な不快感に「囚われて」いなければならない。囚われるというのは、不快感が恒常的な固定観念に変わり、「エゴ的感情」に支配されるがままとなり、相当長い期間そのままの状態でいるという意味だ。長いこと、眠りの妨げとなる場合もある。
また、そういう感情を発散させたり表現する、すべての手立てを抑制した場合である。
では、癌になりやすい性格というのがあるのですか?
そうだ。「エゴ的感情」(憤り・憎しみ・悲しみ・怖れ)に流される人と、感情のやり取りや表現が抑圧されていると感じている人だ。
それなら、病気は、物事に正しく対処しなかった罰だという結論になりませんか?
罰ではなく、内的な感情的苦痛の結果である。
病気を生み出すのは当人であり、癒せるのも当人である。そのために、魂の本当の姿を抑圧せずに表明して、エゴから愛へと自分自身を変化させねばならない。
でも、もう苦しんでいるのに、そのような重い病になることには、どういう意味があるのですか? 苦しむだけで充分ではないですか?
肉体の不快感は、内面の不快感の反映だということに気づくことだ。
この場合、肉体的な病気は、当人に内面の病を気づかせ、変化を促すためのアラームのように作用している。
でも当人が、肉体的な病気が内面の病と関係していると連想できなければ、どう自己変革できるというのですか?
肉体的な病気は、内なる魂を出現させまいとする頭脳の防壁を弱めるので、自己の感情のみならず、他者の感情や苦悩についての感知力を高める。そして、これが、人に変化を促すのだ。
自分が変われば、病気は治るのでしょうか?
大半は治るが、すべてのケースがそうではない。肉体レベルで修復不能な病害もあるのだ。
治らない人たちは、死んでしまうこともあるのですか?
そういうことになる。
自分を変えても治らずに、どうせ死んでしまうのなら、病気にどういう意味があるのですか?
霊的視点では、肉体の命は本当の命のほんの一瞬に過ぎず、肉体の死は終わりでも悪いことでもなく、より制限のない別次元への移行期だということを思い出すことだ。
病気は、人がより高次の理解や愛、叡智へと進歩するために役立つ手段なのだよ。すでに述べたように、肉体の病は、内面の感受性の表現を妨げる頭脳の障壁を弱めるので、実のところ、進化に寄与するものだ。
人が愛における進化で成し遂げた変化は、失われることがない。どこに行こうと、自分と一緒に持って行ける。これは、人生で得られるものの中では、最も貴重なものだ。生涯を通しての目標に掲げることができ、もしそれを達成できたとしたら、魂は自分の仕事に満足して、穏やかに霊界に戻ることができる。実際、自分の魂に成し得た変化だけが、死ぬ時に持って行ける唯一のものだ。なぜなら、物的な成果はすべて、物質界に残るのだ。
イエスの次の言葉はこのことに言及しているのだよ。
「自分の宝を地上に積むのはやめなさい。そこでは、虫とさびでキズ物になり、また盗人が忍びこんで盗み出したりする。自分の宝は、天に蓄えなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が忍びこんで盗むこともない。自分の宝のあるところに、自分の心もあるからだ」(マタイによる福音書6章1-2節)
でも、死んでしまったら、学んだことをどう実践できるのですか?
魂は体に宿っていようと離れていようと、生き続けるのだと気づくことだ。どちらの場合でも、学んだことは魂の一部となり、継続して進化していく上で役に立つ。
でも、家族や愛する人たちはどうなるのですか? 過酷な病気になって必死に頑張って自分も変えたというのに、その愛する人を失ってしまうのは、ショックが大き過ぎやしませんか?
病気であろうと自然死であろうと、愛する者たちとの別離は一時的なものだ。向こう側では、我々は皆、愛する者と再会できる。
物質界に生まれ出る時には、その転生で一緒に生まれない愛する者たちと同じように別れてやって来る、と気づきなさい。彼らにとっては、それはトラウマとはならない。一時的な別離だとわかっているし、生まれ変わる魂は霊的に進歩するためにそうすることを理解しているからだ。そのため彼らには、君たちのような喪失感はない。
君たちが、生命は決して尽きることがなく、肉体の死は終わりではなく霊的次元への移行段階に過ぎないことを会得できれば、愛する者が死ぬことで生じる問題やトラウマや落胆の多くが、消え去ることだろう。
自分の葛藤を解消できずに、病気のせいで死んでしまう人たちはどうなのですか?
試練を乗り越えて自分に打ち克つために必要だった変革を実現できなかったので、霊的に停滞してしまうだろう。彼らは霊的に超越する戦いで「匙を投げた」のである。つまり、霊的に進歩できそうになかったので、彼ら自身が霊界へ戻れるようにしたのだ。次回の転生では、同じ試練を携えて来て、それを乗り越えようとするであろう。
病気の原因の話に戻りますが、表面上は何の感情的な葛藤もなく比較的幸せなのに、癌のような病気を患う人がいませんか?
それに、感情的トラウマを体験するほど充分な自覚がないのに、先天的な病気を持って生まれる子どもについてはどうなのですか?
いい質問だ。生まれたばかりの子についてだが、魂は胎芽に結びついた時点から、周囲で起こるすべてのことや母親の気持ちを感知できるので、妊娠期に感情的トラウマを経験しやすく、それが肉体的な病気の発症原因となり得てしまう。
しかし、どんな感情的トラウマとも関係のない病があるのは確かだ。したがって、感情的トラウマがすべてのケースの要因とは言えない。
遺伝的要因を持つ先天性の病と呼ばれるものがそれに当たるが、他の病気の原因は、感情要因と遺伝的な性質が組み合わさったものである。
先天性の病気の場合、何がその原因ですか?
前世での行いに原因がある。病気は、エゴに駆られて犯した「愛の法則」に反する行為で貯まった負債を清算するための試練なのだ。
言われることがわかりません。病気が過去の行いとどう関係するのですか? 病気をどのように前世から他生へと繰り越すのですか? もう少し教えていただけますか?
人は「愛の法則」に違反すると、「霊的な作用と反作用の法則」により、その行為が心理的毒素となって魂に浸透し、波動レベルを下げ、その様相を乱してしまう。
波動低下に呼応したこの乱れは、しまいには、メンタル体や将来の肉体の型となるアストラル体など、より濃密な体を変化させてしまうのだ。転生時にアストラル体が乱れたままだと、肉体の遺伝子コードに変異を起こしかねず、先天的な病気を引き起こす。
だから、たとえ前世のものであろうと、病気の要因がエゴであるというのは、やはり正しいようだ。
でも、継承するとわかっている遺伝的変異、つまり、両親の遺伝子を受け継いだための変異もありますよ。だから、転生者のアストラル体が原因のようには思えませんが。これに関してはどうでしょう?
両親からの遺伝で受け継いで、特定の病気になりやすくなるというのは、極めて確かなことだ。だが、転生する魂は、その状況を知っていて同意したのだよ。肉体または精神の障害が前世の行為の結果で通過すべき試練だ、と知っているのだ。これはまた、そのような状況を経験することを過去に同意した両親にとっても、試練となる。
本人や愛する人がこのような状況を経験している人に、こんな話をしても、受け容れはしないと思います。「こんな目に遭うなんて、僕らは一体何をしたんだ」と考えるに違いないでしょう。
そういうふうに考えるのが普通だ。なぜなら、総括的に理解するには、誕生以前に前世が存在していたことや、魂がその時に以後の転生で直面する状況を創り出したことを、認める必要があるからだ。
生命はこの人生の後も存続するので、病気も結局は一時的な状況に過ぎない。その一時の経験からは愛の学びを積むことができ、病気はそのためのものとなる。
先天的なもの、事故のような状況的なものを問わず、普通の生活を営む上で妨げとなる、精神または肉体の障害を持った子どもや家族のいる人には、どう声をかけられますか?
普通の子に接するように振る舞いなさい。実際、普通の子どもなのだ。外見で判断してはならない。肉体の奥底に、皆と同じような魂を見出すだろう。その子、その愛する者の中に、不完全な肉体を見るのではなく、完全な魂を見ることだ。そしてその魂の通りに、完全な存在として扱ってあげなさい。不具合な衣装の下には、健全な肉体の人と同等かそれ以上に力強く生き、感じ、気づくことのできる人がいるのだ。
音楽を理解している者ならば、音楽は楽器が奏でるのではなく、それを弾いている音楽家の心で生まれるのだ、と言うであろう。ヴァイオリンが未調弦であったり壊れていても、弾き手自身が演奏できない訳ではなく、一時的に思い通りに弾けないだけで、手元の楽器がどのように調弦されているかにかかわらず、自分の音楽の才能を伸ばすことができるだろう。
それと同じように、楽器となる肉体が一時的に調子外れだからといって、愛という心の曲を聴き取り、それを表現する可能性を魂から奪ってはならない。普通の子どもに接するように、その子に話しかけたり、気持ちや愛情を表して伝えたりすることが、不毛な努力だと思ってはならない。
人は、肉体の感覚によって感じることができなければ、魂の感性を介して感知するのだ。特に愛ある行為に対しては、もっとずっと感受性が強い。健常人の反応をしなくても、感じていない訳ではなく、その子の身体が、魂が望むがままに物質界で表現することを妨げているだけだ。その子のために心からしてあげることで、無駄になるのは何もない。霊界では、愛のためや愛を抱いて行うことで、失われるものはないのだ。
すでに言ったが、繰り返しておこう。肉体的または精神的な障害は一時的な状況で、それはひと度肉体が消滅するや、終わることだ。だが、その体験を通して、当事者や周囲の人びとに生まれて根付いた感情は、魂の糧となって永続する。そして、それが真に大切なことなのだ。
でもそれによって、何を学べるのですか?
自他の苦悩に敏感になれる。おそらく前世では、今苦しんでいる人たちが、他者に同様な苦しみを与えていたのだが、自分がどれほど傷つけていたのかを自覚しようとしなかっただろう。
愛への第一歩は、他者も自分と同じ感情を持ち、自分が苦しむのと同じことで苦しむのだと認識することだ。
先天性の病気に霊的な意味があるとしたら、それは何でしょうか?
このケースでの病気は、魂が高次の霊的進化を遂げる妨げとなる心理的毒素を、肉体に転写するプロセスだ。肉体は病気になることでその毒性を緩和し、吸い取りスポンジのように吸収し、毒素を排除することができる。つまり、魂は毒素を肉体に渡し、肉体は汚れをふき取る雑巾のような働きをする。この「汚れ」が肉体レベルでの病気の要因であるが、病気は、下水に流すように、より精妙な霊体を清めるために役立つのだ。
また、人生の最後で、この排水機能を利用して毒素を一気に洗い流そうと、病気になることを選択する魂もいる。つまり、生涯で重い病を患わなくても、肉体との分離の時が近づくと肉体は不要になるので、霊体に蓄積されていた心理毒素の一部を肉体に転写するために利用して、浄化しようとする。
このようなケースは頻繁に見られ、この場合には、死を妨げようとどんなに頑張ってみても、全く効をなさない。なぜなら、それは現在進行中の感情的な葛藤とは無関係で、霊的な浄化だからだ。
魂が「愛の法則」に違反すると、次の転生で病気にならされるのですか?
いや、そうではなく、心理的毒素を除去する方法は幾つかある。
悪かったと反省することを愛ある行為で償っていけば、病気を体験することなく、魂の毒素を取り除ける。だから先ほど、病気の原因がエゴであれば、愛が諸悪の解毒剤と処方箋になる、と言ったのだ。したがって、必ずしも病気になって毒を消散させる必要はないが、それが一番手っ取り早い方法なので、多くの魂がそうすることを選んでいる。
明らかなのは、毒素の重荷を取り除くために何かをしない限り、それは残ってしまい、より高次の愛と幸福へと魂が進むことを阻止してしまうということだ。
感情的要因と遺伝的な性質が組み合わさった病気もあるのですよね。
その通り。
もう少し説明していただけますか?
特定の試練に立ち向かうために生まれて来た魂は、物質主義に流されて転生の目的から外れてしまわないために、病気を記憶の喚起剤として利用する。つまり病気は、ドライバーに車線からはみ出たことを警告する路肩のランブルストリップス(訳註:主に路外逸脱防止を目的とし、道路両端に施工された波状の舗装)であるかのごとく、魂が事前計画から逸れてしまった場合にだけ起動する。
同じ状況でも重病にならない人がいる一方で、遺伝的な性質で特定の病気になりやすい人は、アラームが鳴りやすいのだ。言い換えれば、それほど強くない感情の刺激でも、病気を誘発させるには充分なのだ。
病気の原因が今生の感情トラウマの場合は葛藤を解消することで治癒できたり、浄化の過程であれば先天的な病で治らないことがあるのなら、現在用いられている薬学療法は、たとえば癌などの場合で、何かの役に立つのでしょうか?
現在の治療法、つまり化学療法と放射線療法は、細胞の増殖という症状をなくそうとするが、病気の原因には作用しないので、病気を回避することはできない。
また、遺伝子を損傷してしまうので、細胞をひどく傷つけ、多くの場合にそれが永続して再生不能となる。君たちは、癌が遺伝的変異に因ると思っているのに、どうして変異を誘発させる薬をその治療に用いるのか、理解に苦しむよ。
薬は悪いのですか?
全部がそうではないが、攻撃性が過ぎるものは、効用よりも弊害をもたらすので良くない。
特定の場合には、抗炎症剤やコルチコイドや、ある種の免疫調整剤などは有益である。薬学を正しく適用すれば、人生に病が訪れる際に、健康を回復するために役立ち、治癒を可能にする。また、治る見込みのない病でも、症状を和らげ、生活の質を向上させる助けとなる。
では、薬学治療をして、癌が治る人がいるのはなぜですか?
治ったとしたら、原因となった感情面の問題を解消できたからか、実は良性だったからで、症状を排除したためではない。
感情的または霊的な毒素が残留すると、最初に冒された組織を切除していればその近くになるかもしれないが、癌は別のところに再発してしまう。
癌を治ために有効な、肉体上の助言がありますか?
質素な菜食主義とビタミンを多く摂ること。異常細胞の除去に身体が専念できるように休息を多く取り、平穏でいること。身体器官を傷めずに回復できる、身体にやさしい治療法を使用すること。
お話のように、「エゴ的感情」が残存することによってアストラル体が力を失い、それが長期的には肉体的な病気を誘発するのだとしたら、健康を回復するために、アストラル体をエネルギー的に綺麗にすることは可能でしょうか?
可能だ。特定の運動(ヨガ)をしたり、人がパイプとなってエネルギーを供給したり(レイキなど)、生体エネルギー発生器などによって、悪い流れを取り去り活力を与えることができる。
エネルギー治療は、アストラル体レベルに作用し、疲弊したエネルギーを洗い流し、そこに新しい活力を供給し、気の流れを修復する。生体エネルギーを用いた治療は、病気の回復を促したり、症状を緩和させることに貢献する。
だが、エゴ的な感情を放棄できなければ、アストラル体の乱れが再発し、その結果、肉体の病も再び出現することとなる。それゆえ、霊体、メンタル体、エネルギー体、肉体を総合して、治療に取り組むべきである。
レイキとは何なのでしょうか?
レイキとは、宇宙の生命エネルギーを利用する自然療法の一つで、肉体的、精神的な病気の治癒に役立つ。レイキは、宇宙的生命エネルギーを意味し、それを発見した日本の先駆者に命名された。現在ではその名前で有名になってはいるが、健康改善を目的としたエネルギーの授受は、何千年も以前から、磁気やプラーナなどの様々な名称の下に行われてきた。それは、「奇跡の癒し」と呼ばれたイエスの手かざしのことなのだ。
レイキは何を基本としているのですか?
レイキのセッションは、不快感や症状を緩和したり除去するために、送り手またはパイプ役となる人が、自分の手を通して、生命エネルギーを受け手に伝達するのが基本だ。受け手となるのは、自分自身でも他者(人・動物・植物)でも良い。
レイキは、アストラル体のレベルに作用し、エゴ的な感情が原因のエネルギーブロックをとり除くのに役立つ。
だが、外傷または中毒など、完全に肉体的な要因による不調の場合には、損傷を受けた部位の気の流れを復活させ、痛みを緩和し、体組織の再生を促す。
アストラル体の構成や気の流れやチャクラについて知り、感情的な問題と影響を被る肉体箇所との関係を理解すると、正しい位置に手を置けることになり、損傷を受けた部分の気の流れを再生できる。
でも、癒しのエネルギーは、どこから来るのですか?送り手からですか、宇宙からですか?
生命エネルギーは、宇宙のあらゆる場所に存在し、レイキの担い手は、それを必要としている人に集中してエネルギーを向けようとする。時々、送り手となる人が周囲からエネルギーを集められなかった場合に、自分自身の生命エネルギーを譲り渡してしまうことがある。
また、霊的な存在にエネルギーの伝送を手助けしてもらっている人も多く、その人の能力がずっと高められる時もある。この場合は、意識の高い仕事は霊的な存在たちが行っており、レイキの送り手は、癒しの魂たちが肉体とエネルギー体に近づけるための媒体として機能する。
人が自分自身のエネルギーを与えてしまうについては、どんな理由があるのでしょうか?
過度に力を投入する、集中力の不足、リラックスできていない、私心なく助けようとしていない、精神的あるいは肉体的な悪習、などが原因だ。
レイキのセッション中に以上のようなことがあれば、送り手は疲れきり、エネルギーが不足し、受け手の不快な症状まで自分で感じてしまったりする。
レイキができるようになるためには、何が必要ですか?
レイキが効力を発揮するために最も重要となるのは、送り手が、仲間を助けようとする意志を持つことと、愛を実践して自分のアストラル体の波動を高めることだ。
積極的にエネルギーを受け取ろうとする受け手の姿勢も大切だ。その人がどれだけ素直に信頼することができるかどうか、にもによるからだ。受け手が、レイキに効き目がある筈がないと思ったり、送り手を信用していなかったり、エゴを捨てて愛をとる自己変革をする意志がなく、エネルギーを拒否すれば、その人のチャクラは閉じたままで、送り手にどんなに力があろうと、気は流れない。
ラジオ放送と似ている。番組を聴くためには、強い信号を放つ優れた発信機が必要だが、受信機をつけて正しい周波数に調整するのも、同じように大事だろう。
その後は、スポーツと同じで、継続して練習することで、回を追うごとにエネルギーの伝達能力が高まり、もっと大きな波動となる。非打算的に助けようとする意志があれば、いつも最善の結果を得ることができる。
さらに、肉体を浄化させれば、エネルギーが身体を通過する際に、波動が低下してしまうこともない。そのためには、菜食と、身体の器官にとって有害となる、アルコールやタバコ、その他すべての薬物の消費を控えることが必要だ。
エネルギーを送ることができるようになるためには、レイキマスター(ティーチャー)がその人のチャクラを事前に開ける必要があるというのは、本当ですか?
その必要はない。伝送能力は、魂の進化の力量と、他者を助けようとする意志と練習とによる。私利私欲をなくして行うほど、霊界からの援助は大きくなる。
先生の役目は、生徒の潜在能力を開花させることだが、独学も可能だ。スポーツのように、練習すれば能力は増す。そして、他者を助けようという意志があれば、霊界から必要な援助を授けられる。エネルギー伝授の真の達人がいるのは、霊界だからだ。
レイキの段階を取得するための有料の講習がある、と話しているのを耳にしましたが。その件に関して、どうお思いですか?
お金と引き換えに、天国に行けると文書で約束した免罪符と同じような商売だ。最初にレイキを始めた臼井甕男氏が無償で行ったというのに、その継承者たちがどうしてお金を取るのだろうか?
繰り返すが、レイキを始めるために、イニシエーションをする必要などない。どれほど有名であろうと、見返りとしてお金を要求するような人から受けるイニシエーションであれば、なおさらだ。なぜなら、それでお金を儲けようとしているのなら、自称するほどレベルが高くはないからだ。
真のマスターは、万人のエネルギーでお金を取ろうとしない。伝達者に過ぎず、謙虚であるので、マスターと名のろうともしない。
ここに、イエスの手本がある。エネルギーで多くの人を癒し、弟子たちへの伝授もしたが、誰からもお金を受け取らなかった。
講習だけでなく、レイキのセッションでお金を取る人もいますよ!これについては、どう思われますか?
宇宙エネルギーは、それを扱う人の所有物ではなく、お金を払わずに使用できるものなので、同じく無料で与えねばならない。
レイキでお金を取る人たちは、自分自身のエネルギーや自分が努力して周囲からかき集めたエネルギーを扱うのだろう。
だが、高波動の霊的存在たちからの手助けは期待できない。彼らと同調するためには、心を浄化し、他者を助けたいという無私の思いが必要となるが、お金を取る者には無私の志はなく、金銭的な利益を得ることに関心があるからだ。
でも多くの人が、レイキで儲けようとしているのではなく、それで時間が取られるとサラリーマンしていられないし、何かで暮らしを立てる必要があるから、と言っていますよ。
それなら、エネルギーの伝達では生計を立てようとしないことだ。経済的にやっていけるように、他の活動で報酬を得られる仕事を持ち、自由な時間にレイキをすれば良い。これは、意志の問題だ。
しかし実際には、レイキでお金を取る者の多くが、生活を維持するだけでなく、それによって儲けようとしている。レイキの料金は、オーラを綺麗にするというよりも、それにひっかかった愚か者の財布の中身を綺麗にしてしまうほど高いことがあるからだ。
イエス自身も、「神のものは神に、皇帝のものは皇帝に返しなさい」と言っている。
物質的に自立する必要があるのなら、実際的な仕事でそうするように努めなさい。霊的な仕事を介してはならない。霊性にお金を関与させるのは、やめなさい。霊性が穢れてしまうのだ。
君たちを助けている指導霊たちは、君たちからお金を取るのだろうか? 彼らがそうしないのならば、彼らを見習って君たちもそうしてはならない。しかも、自分には能力があるのでお金を取る資格があると思っていると、本当にそうなって、自分自身のエネルギーしか使えなくなってしまう。
「神と富とに兼ね仕えることはできない」ということを肝に銘じて欲しい。現在の言葉に置き換えれば、愛とエゴとに兼ね仕えることはできないという意味だ。それらは、相容れられない対立する概念なのだ。
エネルギーを貰う代わりに、お金であろうと他のものであろうと何かを引き換えにあげる必要があるので、これは交換をしているに過ぎない、と言う人たちもいますが。
それならその人たちは、無条件の愛という、何の見返りもなく与える行為を知らず、また理解したくもないのだ。見せかけの霊性で外側を装おうとしていても、見習うべき手本とはならない。
それを忘れないようにしなければ、霊性復興運動も、あげくの果てにはキリスト教と同じことになってしまう。つまり、皆の偉大なマスターだと勝手に名のり出る者が現れて、自分の富と権力への渇望を満たすために、聖なる教えを管理し操作し始めてしまうだろう。
でも、有料レイキに効果はあるのですか、ないのですか?
効果はあるかもしれないが、無料で行うレイキよりは、常にずっと貧しい結果しか得られない。効果は、助けたいという思いの強さ次第だからだ。
大半の場合には、他者を助けたいという思いと、何かと引き換えに行おうというエゴとが混在している。善意によって得られる効用も、私欲で失われてしまう。
一つはっきりさせるが、エゴがあると与える前に貰おうとしてしまうので、癒しにはならない。エゴに委ねる人は、本当は他者を助けようとは思っていないので、助けてあげることができないのだ。
お金を取っているならば、それが他者を助けるためなのか、自分が有名になるために他者を利用したいのか、あるいは自己の物質的な欲求や期待に沿うためなのかを、分析してみるがよい。
イエスがあれほど優秀なエネルギーの担い手で、奇跡と思われたほど素晴らしい強力かつ迅速な結果を得ることができたのは、一体どうしてだと思っているのかね? それは彼が、無条件の愛を感得するに至った魂だったからで、その愛が、エネルギー次元で顕現する時に高振動のエネルギーとなり、それに肉体的または霊的な障害を癒す力があったからだ。
多くの者が、イエスがしたことをできるようになりたいと思っているが、彼らには本質的なものが欠けている。それは、無条件に愛するということで、エゴを――虚栄心・自尊心・自負心を――放棄しなければならないのだ。
イエスがしたことをできるようになりたいか? それなら、他者に何かをしてあげる度に、集金してまわるのはやめなさい。イエスが癒しに対してお金を取っていたとしたら、高次の存在ではあり得なかったし、高次の霊たちからも支援されなかったので、癒しそのものが不可能だったろう。
病気とその意味について、最後に言っておきたいことはありますか?
病気は、運命のいたずらでも神の罰でもなく、霊的成長の糧となるものだ。
今生で患う病気は、今回の転生で立ち向かわねばならない試練を知らなかったり受け容れようとしなかったのが原因か、または心に従って行動や生活せずに霊的な内面を抑圧したのが原因だ。
このような場合、肉体的な病は内部の病気の警報として作動し、自分を変えるように誘導する。先天性またはカルマによる病気のケースでは、原因は前世での行為の中に見出せる。それは、溜まった負債を清算するための試練であり、魂が霊的により高い段階へと昇るために障害となる心理的毒素を肉体に受け渡すプロセスなのだ。
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魂の法則 Part19【イエスの地上での使命】
魂の法則 Part1【序文】
魂の法則 Part2【最初の出会い】
魂の法則 Part3【神】
魂の法則 Part4【霊的世界】
魂の法則 Part5【進化の構図】
魂の法則 Part6【人間の構成形態】
魂の法則 Part7【人間の転生とそれが霊性進化に果たす役割】
魂の法則 Part8【霊界との交信】
魂の法則 Part9【転生のプロセス】
魂の法則 Part10【他世界での生】
魂の法則 Part11【自由意志の法則】
魂の法則 Part12【霊的裁きの法則】
魂の法則 Part13【愛の法則】
魂の法則 Part14【愛VSエゴ(我欲)】
魂の法則 Part15【虚栄心(見栄)・自尊心(プライド)・自負心(尊大)】
魂の法則 Part16【エゴ的感情】
魂の法則 Part17【人間関係と「愛の法則」】
魂の法則 Part18【「愛の法則」から見た病気】
魂の法則 Part19【イエスの地上での使命】
魂の法則 Part20【別れ】
魂の法則 Part21【あとがき】