魂の法則

魂の法則【人間の転生とそれが霊性進化に果たす役割】

魂の法則【人間の構成形態】

人間の転生とそれが霊性進化に果たす役割

もうお話に出てきているのですが、転生とは何かを、正確に定義していただけますか?

輪廻転生とは、肉体生または肉体化が何度も起きることを示唆している。つまり、ある身体を誕生から死に至るまで活性させていたのと同じ存在、または同じ魂が、新しく誕生する者に生まれ変わることができ、物理的な世界での新しい人生を生きることができるということだ。

霊性進化における輪廻転生の目的とは何ですか?

魂の学習は、学校での学習と似ている。
学校では、勉強をする期間と、生徒が学んだことを試される、評価または試験の期間が交互にくるが、霊性の学習でもこれと同じことが起きる。
肉体をまとわない時期には、魂は勉強をして霊的な準備をする。
肉体に宿っている間は、何からも強制されずに、顕現した魂の自由意志に基づいて、自分が習ったことを実践しようとする。
肉体化する一回一回が、特定の課程を評定する機会だ。その評価に合格すれば、次の課程の学習へと進め、霊的次元で新たな教えを学び始める。
そして、魂の準備が整い新たな知識が身につくと、実践を通してそれを自分のものにしようと、再び肉体に宿るのだ。

中には、僕には乗り越える自信が持てないような厳しい試練に、人生で取り組む人もいるようですが。

各魂はそれぞれの人生で、その転生に特有で自己の能力に見合った試練に直面する。魂は転生以前に、前進するにはどのような試練が必要なのかを理解しているので、肉体に宿る前の期間に、それらの試練を上手く乗り越えられるように念入りに準備をする。
それは決勝戦に参加するスポーツ選手が、偶然そこに到達できた訳ではなく、一年中熱心に努力をして、事前の様々な選別テストに通ってきたのと同じだ。だから、誰も、超えることのできない試練に直面することなどないのだよ。

転生の必要性が何なのかわかりません。なぜ物質界で、何度も生きる必要があるのですか?

一年で育成される生徒がいるかい? 一年で多くを学んだとしても、学べなかったことは常にあるだろうし、もっと時間が要ることもあるだろう。進化途上の魂も生徒であり、それと同じように一年以上を要するのだ。つまり、必要とされ習いたいと思うすべてのことを学ぶには、一度以上の人生が必要となるのだ。

ここで一度生きてから別の存在次元に行って、地球に戻ることなく向こうで進化し続けることはできないのですか?

可能ではあろうが、たった一度しか着ていない服を捨てるのが勿体ないように、最大で100年しかもたない君たちの物理生を一回しか使用できないのだとしたら、何十億年という時間をかけて地球を形成し、生命を育む条件を発展させた物質界を、非有効活用することになってしまう。これは、資源の効率利用という問題だ。
一学年度だけしかない学校があるかい? 君たちの世界では、生徒は学校を変える必要なく同じ校舎で六年間は過ごすだろう。たとえば小学校では、生徒は6歳から12歳まで通う。そして、小学課程を修了して初めて、中等教育へ移り学校を変える。育成中の魂にもそれと同じことが起こるのだ。
君たちの惑星は、小学校にいる年頃の魂が学びに来る、初等教育の学校のようなものだ。この学校、この世界が教えられることをすべて学習し終えた時に、さらに高度な教育を施す別の学校に移れるのだ。つまり、自己の進化レベルや学習の必要性に見合った別の世界へ転生することが可能となるのだ。それまでは、地球かまたは同等レベルの世界で進化し続けるのだ。

以前にも生きたことがあるのなら、どうして前世を思い出せないのですか?

現在の君たちの進化状態では、そうすることが魂のためだからだ。

過去の生とされるものを、どうして忘れる必要があるのですか?

現在の人生の目的に集中するには、自由意志で行動する妨げとなる自他の記憶をなくして、過去の行為に言動が制限されないようにする必要があるからだ。

それでは永続的な進化の法則と矛盾するようですが。魂が前世で学んだことを思い出せないとしたら、毎回ゼロからのスタートに戻ることになりませんか?

具体的な思い出は忘れてしまうが、霊的に学習したことは忘れない。それは魂の霊的な記憶として保管されるが、肉体の記憶には留まらないので、その意味ではどの転生も確かにゼロからのスタートとなる。
君たちにわかるよう、昨今の例を挙げよう。
ある人がコンピューター情報処理学の最初の課程を学び始めたとして、コース開始時に、練習したり問題や課題をメモリーに保存するために、一台のパソコンを与えられたとしよう。この学生はコース修了時には、コンピューター処理に関する一連の事柄を学んでいる。
翌年はクラスが変わり、パソコンも変わる。新しく与えられるパソコンのメモリーは空だが、より大きな処理能力があり、データが増えても対応可能なもっと大きな容量がある。
その学生が、最初のパソコンのメモリーから二台目に、文書や課題を移せなかったとしても、情報処理について学んだことは忘れはしない。その知識を使って新しいパソコンを好きなように設定できるので、ゼロからのスタートとはならず、初年度で得た知識を駆使できるのであり、一台目のパソコンや作成済みの資料がどうなるかには影響されない。
魂が新しく宿る時の身体というものは、年初に学生に渡され学習に使用していくメモリーゼロの新しいパソコンのようなものだ。

肉体は時間と共に消耗していき、しまいには魂の進化を継続させるには役に立たなくなる。それが古いパソコンを「退職」させなければならない時で、つまり魂が肉体から離れる時なのだ。
物理的な記憶である頭脳は残りの肉体と共に消滅するが、霊的な記憶はそうならず、その人生で学んだすべてを記録する。魂は肉体から分離している状態では、肉体能力に制限されることがないので、前世での詳細のすべてにアクセスが可能だ。

それでは、死んだらすべての過去生を思い出せるのですか?

魂がこれまでの転生期間と非転生期間に経験したことはすべて、個人的に利用できるように保存されるが、魂があまり進化していなければ最近の転生までしか記憶をたどることができない。魂が進化するにつれて、前世の記憶を遡る能力が増すのだ。

前世を忘れる必要性がまだ理解できません。前世の記憶がどうして魂にとって不都合なのでしょうか? 僕には、どちらかと言うとその反対に思えるのです。
魂が過去生の記憶を保持できれば、進化のプロセスにもっと自覚を持ち、転生を有効に活用して成長しようとしませんか?

君の理論は特定の進化レベルに達した魂にとっては正しいのだが、進歩の少ない魂は知識を適切に使えず、情報過多で発展が妨げられる怖れがあるので、有益にはならないのだ。そのため過去の情報は、魂が進化してそれを知る努力をしていくに従って、入手しやすくなるという訳だ。

過去生の記憶がどのように人の進化の妨げとなるのかはっきりしないので、理解できるような例を挙げて下さい。

いいだろう。誰かが過去生で殺人を犯し、本人も、一緒にいた他の魂たちも、その人の悪業を覚えているとしよう。今この魂は、自分が犯した罪を反省し、新しく始める人生で償いをするつもりだとする。そして過去に一緒に暮らし彼がしたことを覚えている人びとの間に、再び生まれ変わったとする。
このような状況では、その人は自分の過去に刻印を押されてしまい、殺人をしたと覚えている人たちから軽蔑され続けるだろう。それは、彼らが霊的に進化していないために、誰もが過去に過ちを犯していて無数の更正機会が必要である、ということが理解できないからである。だから、過去の落とし前をつけようと彼に復讐をしたがる者もいるかもしれない。
同じように、当人も周囲の重圧で自分を責め立て、最悪のケースでは、彼を追いこむ者に仕返しをして再び犯罪行為に走ることもあり、その場合には、改善どころか霊的に停滞してしまうことになる。

では、過去生を忘れれば、どんなメリットがあるのでしょう?

魂が、証人保護プログラムで守られたとでも考えて欲しい。保護される証人はかつての犯罪者だが、正義に協力するので昔の仲間の報復から逃れられるように、新しい身分と別な場所での新職をあてがわれ、危険から遠く離れた新生活で社会復帰させてもらう。
転生することと過去生を忘却することでは、これと同じ、新しいアイデンティティーを獲得するという効用が得られるのだ。

これはいつでも必ずそうなのですか?つまり死なずに生きている間は、過去生でのことを思い出せないのですか?

決して思い出せない訳ではない。実際最初に言ったように、特に幼児期においては自発的に思い出す人たちもいるし、退行催眠によって詳細を思い出せる人たちもいる。
東洋では、過去生を自発的に思い出す子どものケースが、西洋よりもずっと多い。これは、輪廻転生を信じる地域であるために、子どもたちが覚えていることを話しても親に禁じられないためだ。
しかし、過去の事由が人を愛せない口実にされないように、愛の学びにおいて充分に進歩した魂が大多数生まれ変わる世界にならない限り、意識的な記憶を持つことは無理であろう。
我々が皆兄弟であり、誰しも過去に間違いを犯しており、更生するために無数の機会が必要とされたことを理解できた時に、思い出せるようになるだろう。より進歩した世界では、前世の一つや二つ思い出せるのが普通なのだ。

引き合いに出されましたが、ヒンズー教とか仏教などの輪廻転生を信じる東洋の宗教が主流となる地域の方が、僕たちの地域よりいいとは思えません。
ヒンズー教がいい例で、輪廻転生の信仰が人類の不平等を正当化するために利用されているじゃないですか。カースト制度のことを指しているのですが。

これは、魂を進化させるのは内面的な成長であって外面的な知識でないことを知る、いい見本だろう。輪廻転生の存在を信じていても、エゴを正当化するために、その意味づけを変えてしまったのだ。また、進歩の少ない魂は、知識を正しく使えずに情報過多で発展が妨げられてしまう、といういい例である。

カースト制を正当化するヒンズー教徒は、魂の直近の過去も知らずに、不可触民階層(訳註:カースト最下級に相当)に生まれた者は前世で悪行をしたと想定し、その人を助ける代わりに、その人生をできる限り困難なものにする口実として制度を利用している。物質的にもっと恵まれた階層に転生しているのに、恵まれない者に手を差し伸べる代わりに、自分で努力をしても窮乏から抜け出れないように踏みつけるのだ。不平等を正当化するのは、エゴに根ざした嘆かわしい結論だ!
こうして、物質的に恵まれているから優位だと思っていた者が、窮乏や人種差別や無理解を身をもって体験するように、次の転生では、不可触民のような悲惨な環境に生まれ出る羽目になるのだ。この経験の後で、もう一度支配階層に転生するなどして、社会の諸相を変更できる立場になれば、不可触民の前世で内面的に学んだことを思い出して、カースト制度の廃止に尽力することになるかもしれない。

これと反対に、後世に生まれた仏教は、精神的にずっと進んでいるので、輪廻転生の信心を維持すると共に隣人愛の信念も取り入れていて、隣人愛を妨げる口実を探そうとはしていない。そのため、仏教徒は輪廻転生の信奉者だが階層主義者ではなく、カースト制度に反対なのだ。

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