アミ 小さな宇宙人

「アミ 3度めの約束」からわかる【死と魂】 まとめ記事

宇宙人アミ3巻目「アミ 3度めの約束」から死と魂について述べている箇所だけをまとめました。
時間の無い人もこのページを見るだけで死と魂についてわかるように作っています。

■死の役割

宇宙は、自分たちの創造物が、あらたな経験、あらたな環境、あらたな場所、あらたな人、あらたな考えにふれることで、進化し、成長していってほしいと考えている。ところがそれをはばむのが、君たち自身の執着心なんだ。
君たちはあまりにいろいろなものにしがみつきすぎている。
自分たちの場所、自分たちの愛する人、自分たちの物、自分たちの姿、自分たちの考え、思い出・・・全てを手ばなしたがらない。
君たちが、そういったもろもろの執着から自由になって、別の状態へ、別の幸福へととおりぬけるためのたったひとつの道は、今、その身にまとっている”服(つまり肉体のことだね)”を脱ぎ捨てることだ。
肉体がほろび、死をむかえたときにようやく、君たちは執着からのがれて、あらたな状態に入ることが出来るんだ。
でも、そのかわりに君たちは、かつての人生でのことをなにひとつ(どんなに愛着のあるものでも)おぼえてはいない。
本当は、一人ひとりの心の奥の奥に、記憶はひっそりとねむっているんだけど・・・

◆私たちが死ぬのは、執着を手放すため?

そう、残念ながら、今の君たちがあらたな状態にうつるためには、”死”を利用するほかに道はないんだ。
でも、もしも君たちが、もっと進化した段階の人たちのようにもう少し執着からはなれることができれば、”死”という、痛ましくて苦しいプロセスはいらなくなる。進んだ魂たちは、もはや、”死”を通過しなくとも、自分の意思だけで簡単に、宇宙が用意してくれた新しい状態の中へとびこんでいけるんだよ。しかも前の人生でのことを忘れたりしないでね。
僕の中にも、自分が半分ゴリラだったころから今にいたるまで、記憶は全部残っているよ。

■惑星内部に住むのは魂のありかた

まず、惑星内部には、太陽の紫外線や放射線みたいな有害物質がとどかないし、隕石がぶつかったって、なんの影響もない。
天候についていえば、そこに住む人たちが自由に調節するから、雷ともひょうとも大竜巻とも無縁だ。
それからこの惑星の表面には一滴の水もないけど、内部では人工的に水と酸素と光を供給して、この惑星にふさわしい生態系をつくりあげている。害虫やその生態系をみだすような種は、あらかじめ取りのぞくことも出来るんだよ。
そしてこれが肝心なんだけど、近くの惑星に住む未開文明人に、おかしな関心をもたれることもない!
カラカラに乾ききった死の惑星に見せかけておいて、そのじつ、内部には大文明がさかえてるってわけだ。
宇宙でいちばん高いレベルまで進化した人類が、こうして惑星内部に住むようになるってこと理解できたかな。
それに、惑星内部に住むということが、その人たちの魂のありかたをも反映しているんだよ。

◆魂のありかたを反映している

君たちの世界の人々は惑星の表面に住んでいるだろう?
君たちの文明では、全てが、表面の問題なんだ・・・つまり君たちが注意をはらうのは外部だけ、内部のことはさっぱりだ。だからこそ、君たちは惑星の表面に住んでいるんだよ。それは君たちの魂のありかたを反映しているんだ。

◆もう少しわかりやすく説明してくれる?

外部にあるものに向ける君たちの興味は、まさにつきせぬ泉のごとし、だ。もっと外へもっと外へ・・・
許されるなら、地球から数兆キロも遠くはなれた別の太陽系にさえ、ロケットを飛ばそうとする。そのための努力はおしまない。
ところが、自分の惑星の内部のこととなると、足の直ぐ下のことなのに、これがまるでわかっていない。
そもそも興味さえもってないんだ。

■宇宙人のコンタクトが少ないわけ

宇宙の旅は、ある種の心理的な危険をともなっています。すばらしく進んだ世界を見たあとで、愛が尊重されてない世界に戻って生きていかなければならないのは、決してやさしいことじゃない・・・
僕たち宇宙人が、そうしょっちゅうコンタクトをしないのは、それがひとつの理由でもあるんです。

■スポーツは低波動

スポーツを見ているうちに心の中に生まれた興奮とか、闘争心とかは、それ自体とっても乱暴なものなんだ。
これが低い振動に変わって、ほかの人たちにも伝わってしまう。伝わるだけじゃない。振動は”磁気”を帯びているから、この振動が届いた人たちの心の中にも、同じような乱暴な感情をひき起こしてしまったりもするんだ。
世界が悪くなるきっかけは、こんなところにもあるんだよ。
はじまりはやっぱり、一人ひとりの心の中なんだ。

■人への執着

君ひとりだけのおばあちゃんにしたがってるところがだよ。そうして、あの素晴らしいおばあちゃんを、ほかの誰とも共有しようとしない。それは、おばあちゃん自身の可能性を封じ込めていることにもなるんだよ。つまり、おばあちゃん自身の幸せなんか、どうでもいいんだ。自分の幸せしか考えてないってことじゃないかい?

◆執着と愛の違い

これまでずっと、愛を知らずにきた人には、愛っていうのはふわふわとした、とらえどころのないものでしかない。
そうでなければ、執着のような、ごく普通の本能的な感情と大差がない。だからこそ、ある人にとっては空腹も憎悪も愛もみな同じなんだ。

■類推推理と頭の中の論理

この手も、この爪も、この声も、私自身がつくったものじゃない。
つまり、私をつくった直ぐれた知性が存在するということよ。これだけじゃまだ、科学者たちにとっては十分な証拠にはならない?
星や銀河系や海の色や花の香りだけじゃ、十分じゃないの?その存在について研究出来るだけの能力をあたえてもらっておきながら、科学者たちはどうして直ぐれた知性の存在を疑うことが出来るの?

■獣と変わらない

どうしてものごとをそんなに複雑にしようとするの?
私にとっては、つねに”正しさ”がいちばん大切だ。自分の主義に反することはできない。それにこの件を当局に通報することは、法を守る市民としての、そして祖国や民族やその文明を愛する市民としての、努めでもあるんだ
直ぐ目の前に直ぐれた現実があるっていうのに、全く気づかないなんて!そして、謙虚になってなにかを学ぼうとするかわりに、自分の水準までものごとをひき下げ、自分たちの規則を押しつけようとする。
もしも空から天使が舞い降りてきたとしても、きっとこう言うんだよ。『ビザもパスポートももってないぞ、刑務所に入れろ!』って。
手厚く保護しようなんて考えは、頭をかすめもしないんだ。頭の中はエゴだらけ。なんだってエゴで支配出来ると思ってる!感受性のかけらもありはしない
これじゃ今だに獣と変わらない・・・

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